illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

【当日ご連絡】6/8, 23:00- オンライン乾杯

id:wattoさんと、本日6/8, 23:00過ぎから、オンライン乾杯をすることになりました。

ツイキャスで(好き勝手)手短かにしゃべって口火を切ります。その後、各自/居合わせた人で、乾杯ということで。

www.watto.nagoya

家庭教師を終えて、22:45には船橋に戻ってこられると思います。ねこちゃんのほうでだらだら直前告知しますので、まあ、少し、真顔でお話します/させてください。柄じゃないけれども。取材秘話とか。何いってんだいまごろ (´;ω;`) (# ゚Д゚) 17年も同じスレッド読んでるんだけど、発見があるんだよ、これが。

医者ってさ・・・

では、後ほど~(_ _)

読解とは

読解は、行き着くところ、野暮の骨頂であります。

www.yomiuri.co.jp

これから、野暮をお目にかけたいと思います。では第1問から。

youtu.be

(1) なぜ、田中裕子は小躍りしたでしょうか。

続けて、第2問、第3問。

www.youtube.com

(2) なぜ、大森南朋は、打ち消したでしょうか。打ち消すなら、初めからいわなければいいのです。

(3) ここでもなぜ、田中裕子は、小躍りしたでしょうか。

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みなさんが「あーもう!♥」って思ったそれが大人の読解です。設問を立てる以前にみなさんに兆したものです。すなわち読解の設問は野暮です。

このような読解の鍛え方は、だれにもわかりません。

ある秘密組織の話

昨日、あるファーマ(製薬会社)に呼ばれて、会議室で「普段はお見せしないようなものなのですが」と、1枚の印刷した画像を手渡された。上段に、女の子の笑顔と、「お薬ありがとうございます。がんばります♥」と書かれたカード。下段に、その子が撮影したという病院に近い公園に咲く花が並んでいた。

「ほら、先日メンヘラさんにがんばっていただいた」

と、ファーマの方はいった。

「ああ、あの時のものですね。よかった。ありがとうございました」

*

グローバルの本社実務部門と、関連子会社のシステム部門の間の意思疎通に行き違いがあったらしく、薬剤の配送が間に合いそうにない事案が3ヶ月ほど前に、起こった。治験薬の配送は、ファーマ、患者さん、そして私たち、治験計画と物流をアレンジして管理と配送を行う部隊の、数ヶ月に及ぶ入念な調整によって実現する。先日、私にどこか似た語り口の増田が、その「ラスト1マイル」の話を書いていた。

猫背のかりあげゴルゴ氏の話

が、そのラスト1マイルに行き着く前の上流工程では、ビジネスの生臭い話あり、システムトラブルあり、コミュニケーションギャップあり、と、よほどの胆力がないと長くは務まらないといわれる世界でもある。

*

その先日のケースで、粘り強い、冷静な、タフな交渉と調整に乗り出して、話をまとめたのが私と私のチームであった。一時は、これは間に合わない、ペナルティを支払って日程再調整のカード(最後の切り札である。1回でも遅配があれば、マネージャー以上は減俸を覚悟しなければならない)を切るしかないと腹をくくったこともあった。

*

「患者さんも、投与を心待ちにしていらっしゃいます。メンヘラさん、どうにか。信頼しています」

苦しい状況の中、ファーマ氏が、こちらの弱気になりつつあった気配をおそらく察して、プロジェクトのアドレスとは分けて、私信のメールを送ってくれた。私はそういわれると弱い。からきし弱い。理由は自分でもよくわからないのだが、「患者さんが待っている」といわれると、私には謎の軍神ゴッドマーズが宿り、不思議な力が蘇りみなぎって、たいていのことは何でもしてしまうのである。

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結局は、輸入通関がぎりぎり間に合って、それなら、せっかくだからということで自分で届けた。配送の後、病院側の薬剤部長さんがよくできた、理解のある方で、「内緒ですよ」といって、実際に投薬が行われる予定の小児病棟をわざと通過するように、私の前に立って帰り道の案内をしてくださった。

*

話はこれで終わらない。

*

知る人ぞ知る話だけれど、治験には、実薬とプラセボが対で投与されるのが習わしである(いろいろあるにはあるのだが、ここではざっくり述べた)。実薬投与群と、プラセボ投与群に、主治医も看護師も薬剤師も患者も、いまここで投与されるのがどちらなのかわからない状態で、投与され、効果が測定される(盲検)。

今回の、難しい病気の女の子にも、そのご家族にも、このことは事前に十分な説明が尽くされ、同意を得てから治験に臨む。女の子は、それでも実薬であること期待するし、私はそのことを人道的でないと思い、そんな状況で手紙を書いてくれたので、気持ちに応えてここに書いておかなくてはと思った。

*

手渡された花束に、花束で応えることはできない。そのとき、それでも諦めなければ、種を蒔くことなら、できるかもしれない。

*

ちなみに、世界規模で見れば、全て実薬で行っても問題のない統計処理があるとかで、むろん、私は「全実薬推進派」だ。

軍神ゴッドマーズがそうしてほしいと私をそそのかすのである。さらに余談だが、たまに、ファーマとか、厚労省とか、東京税関に足を運んで情報収集と交渉をしている理由のひとつがそれだったりする。

*

一方で、現実には、だからこそ、だれか、必要最小限の人は、その薬剤X、番号20190525-P41523が、実薬なのかプラセボなのかを正確にトレースしておかなければならない。ファーマ、治験マネジメント会社、物流会社それぞれのごく一部の担当者、およびピッカー(倉庫から薬剤X、番号20190525-P41523を正確に取り出す係)である。本当は、「トレースできる」と口外することも、よくない。したがって、以下は創作ポエムである。

*

冒頭に記した打ち合わせの間、私の頭を占めていたのは、「どうか実薬でありますように」ということだった。ファーマの方も、

「オフレコにしてくださいね。今回のようなことがあると、私も実薬であれば、なんてことを願ってしまいます」

とおっしゃった。そして、

「あ、もちろんメンヘラさんのところではしっかり管理されているからお分かりになるのでしょうけれど」

いい添えて、笑った。

氏は、いい方なのである。私は、氏に、生涯ねこちゃんたちに愛されるお呪いを心の中でつぶやき、ファーマを後にした。

*

オフィスに着くなり、私は薬剤の出荷履歴を検索した。証跡の画像をフォルダから取り出した。

実は、上のようには記したが、番号ひとつひとつに、実薬かプラセボかのフラグが立っているわけではない。そんな一覧性のあるデータが存在し、電算システムから抜き出せるとしたら、私たちは業界に暗躍する産業スパイに目をつけられ、どこかに誘拐、連行されてしまう。実際、南米ではそのような事例があったとも聞く。

難病に苦しむ子をもつ父親が、偶然、ファーマの、それを知る立場にある男性と知り合う。子には何としても実薬を配したい。思い余って、誘拐を企てたのだという。もちろんそれだけでは複雑なプロセスに阻まれ、実効力は持たない。

けれど、気持ちは痛いほどよくわかる。私は誘拐を企てる父親に近しい種類の人間だ。

*

話を戻して、複合的なノウハウにより、100パーセント間違いなく、今回のこの配送の何番は実薬である、プラセボであるという、確認をとることはできる(できなければ、確実な出荷はできず、ビジネスとして成り立たない)。

*

私はトイレの個室に駆け込んで、何度も拳を強く握り、恥ずかしながら涙を流し、よよん君に感謝した。そして、ファーマ氏と、女の子と、この気持ちを分かち合うことができない立場を惜しんだ。

*

はてなには、id:CALMINさん、id:kozikokozirouさんほか、病を宿したり、それを見守ったりしている方が少なからずいらっしゃることと思う。病院外で、こんなひとコマがあるということをお読みいただき、少しでも励みにしていただけたなら、うれしい。

おれのくーちゃん(好奇心について)

今日、先ほど帰宅したとき、アパートにあと5メートルで差し掛かろうとする下、左側の塀の上でねこ2人が、発情から交尾に移ろうとするポーズをとっていた。

「なるほど」

おれは頬を緩めた。後背位のオスがメスのうなじを噛んでいる。メスはまんざらでもない表情で身を固くしている。1m程度の辺りを見渡せば、好奇と、やはり発情の入り混じった表情で2人の様子を見ているねこが4人ほどいた。

「なるほど」

おれの好奇心が発動した。A walking man of curiosity.

*

アパートの下に着いた。やや右斜め上、アパートの出窓を見上げる。ねこ様たちがそこにいる可能性は割と低い。そのことを知っているおれは期待3割で見上げた。いつもの、コンマ1秒の情感と期待と反期待である。

くーちゃんが、興味深そうに、交尾に取り掛かろうとするねこたちのほうを見ていた。おれは慌てた。真下から、1歩引き、2歩引き、3歩引き、「くーちゃん」「くーちゃん」と呼んだ。

くーちゃんは少ししておれに気付き、目を移してくれた。

階段を駆け上がった。上がった先から、出窓を確かめる。「くーちゃん」「くーちゃん」と呼んだ。くーちゃんは目を合わせ、おれのことを認めてくれた。

*

アパートの戸を開けると、くーちゃんはすでに窓辺から下りていて、おれの脚元に歩み寄ってきて「ふにゃあ」と鳴いてくれた。おれは胸をなでおろした。

帰宅して1時間が経つ。くーちゃんが窓辺に上る気配はない。よく冷えた床でくつろいでくれている。

*

カーテンの隙間から、外をそっと見てみた。ねこのカップルはどこかに姿を消していた。

「幸あれ」とおれはつぶやいた。彼らには済まないと思いつつ、再び、胸をなでおろした。

Plastic Loveな夜に(仮)

いつもの如く、流行りに乗るつもりはまるでなくて。

Friday Night PlansのPlastic Love。いいよねって話を。

www.youtube.com

東京って、基本、虚構だと思います。いつからだろう? 64年の先の東京五輪から、虚構の地盤が形作られた? 80年代には虚構、記号だというその都市論、都市感覚が、それ自体、僕のような北関東民には堪えると同時に、あこがれとして作用しました。宇都宮線なり、湘南新宿ラインなりに乗って上京して、確かに東京駅に来ているんだけど、東京駅も渋谷駅も、目指した東京ではないという感じ方が、当時も今も、ずっとある。で、その、不確定原理めいた感じ方、都市のあり方に対する、自分の田舎者ぽさが、好き。ずっと、手の届きそうで届かない、遠くにいてほしい。

*

久しぶりに、Friday Night Plansに、その「手の届かなさ」を味あわせてもらった。90年頃の竹内まりやも、手の届かない感じだったんだけど、いま2019年には手が届いてしまう勘違いをしてしまう。Friday Night Plansは、これは明白に届かない。神宮前、青山一丁目あたりに行けば、夜の流れているクラブあるのか? と、こう直線的に尋ねてしまわざるを得ない、上京者というのはそういう感じ方をする存在であって。

道すがら、銘々の流義に則り、東に住む者は西の空に、西に住む者は東の空に向かって淡い祈りを捧げている。その日ばかりは、酒や煙草を絶った人もいると聞いた。

やがて宵が立ち込め、それやこれやを押し流してくれる夜の帳が下り、酒場と辺り一面を覆い尽くす、その中を、冒険者たちはひとり、またひとりと踊りおえていった。後ろを振り返り振り返りし、ことばにならないつぶやきを夜に溶かしながら、コンクリートの壁の合間に煙が吸い込まれていったのは、その日、ずいぶん遅くなってからのことだった。

 第8章:くまとねこの酒場 - セカンド・オピニオン(船橋海神) - カクヨム

これが、おれの夜に隣接せんとする限界なわけだ。後悔はしていないけどなw

*

それで、いきなり刃を振りかざすわけだけど、「東京カレンダー」の、あのダサさ、読むに耐えなさは何だろうと。

グルメ情報・プレミアムレストラン予約サイト - 東京カレンダー

距離感がないんだよね。手の届かないものに、だからわれわれは憧れを感じるわけだ。それが、「東京カレンダー」は、高嶺の花を高嶺の花だといい、具体的なディテールとともに、ここにこういうシチュエーションで、この電話番号にかければ寿司屋の予約ができて、おねえちゃんとめしが食えると、こういうわけだ。

金出せば手が届くんだよ。そういう梅木雄平的な上っ面を、古来、野暮という。やだよおれそんなダサいの。

*

何かを主張したいわけではないんだ。ふと、「東京カレンダー」の話って、竹内まりや=山下達郎 / Friday Night Plansを対置することによって、80年代の匂いを知っている人には、そこそこ頷いてもらえるんじゃないかなって。ほかにもいくつか、東京ウォーカー 、ぴあの話とか、補助線引こうかと思ったんだけど、そこまでするまでもないかなって。

ジオラマボーイ☆パノラマガール 新装版

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黄金頭さんのこと / 第2集に向けて

先日、第2集の相談ということで、黄金頭さんと、あともうお一方、関西から上京された実質的な専属編集担当の方と、お会いした。

僕が東京駅、丸の内改札近くの改札口に待ち合わせ定刻の15分前に着くと、黄金頭さんはすでにそこに静かに立っていた。声をかけ、二人で銘々に携帯電話を触りながら、近況を尋ね合う。彼の、身体と精神の調子―バイオリズムというのかな―は、書くものが伝えてきた、ひところの落ち込みから、だいぶ持ち直したようだった。僕は安心した。

*

その日は、平成の終わりにかなり近かったので、それなら始まりを振り返るのは彼のVOW的な知性に喜ばしいことだろうと思い、

1989年1月7日のスポーツ紙、朝刊一面を軒並み飾ったのは「小柳ルミ子大澄賢也入籍」でした。

と僕はネタを振った。彼は喜んで、頷いてくれた。

そうこうしているうちに、編集担当の方が見えた。われわれは何をしようというのでもなく、第2集の相談ができる場所であればどこでもよくて、前日に予約を入れておいた飯田橋カラオケボックスに向かった。

東京駅から向かう中央線の道すがら、後楽園を横切ったので、

もうかれこれ45年以上前、まだ東京ドームがなかったころ、山際淳司は学園紛争さなかの大学がふと嫌になると当時の後楽園球場を見に来て、そんな中でよほど印象的だったのか、「カクテル光線」というフレーズを残しています。

だとか、

JRA銀行でも、ボクシングでも構わないので、いつかちゃんとイベントを選んでスケジュールを組んで、見に来ましょう。

だとかいった話をした。黄金頭さんはそのひとつひとつに耳を傾け、彼のVOW的な知識の貯蔵庫にしまってくれたように見えた。

*

カラオケ店に入る前に、僕はひとつ聞きたいことがあった。飯田橋のホームで、

西で、平民金子さんがなさっているのだから、東の巨匠として、東銀座あたりの画廊を借りて、写真を展示し、ご本人が立ってサイン会、握手会でもどうでしょう。写真もお撮りになるでしょう?

水を向けると、巨匠は、

いやいやいや。とんでもない。金子さんは、学校で写真をちゃんと習って、プロになろうかという方です。彼の写真はうまい。それと比べたら自分は…

と、しかし、ここで引いては専属文芸評論家のそれこそ名折れ、

それなら、書いた原稿、テキストを写真に撮って、飾ればいい。僕は見に行きます。僕はそれで満足。拝むし。第1集の集客、売れ行きからいったら客足は固い。相当に見込めます。画家を自称するMY…ピーだって…

とやんわり食い下がると、巨匠は笑ってまんざらでもない表情を見せた。

*

持ち込みOK店だったので、われわれは近くのコンビニで軽い食料と飲料を調達してカラオケ室に入った。3人輪番で曲を入れ、歌ったり吟じたり呪ったり跳ねたりした。黄金頭さんは、(自粛)とか(自粛)とか(自粛)とかを入れて歌った。1曲だけ、ここに記しても構わない曲があるとすれば、それでも相当にやばいのだが、これではないかしらんと思う。

www.youtube.com

このように、彼の知性とネタは、いつどこからどの角度から打ち出されるか、余人の想像を大きく外してくれる。きわめて東スポ的である。そして東スポには収まらない。私は(この人の作品が学校教科書に載るには少なく見積もって200年はかかるな…)と思いながら、その200年の1年目の春に、席を共にしている光栄に感謝した。

*

それから、われわれは新宿の出版企画/物産展のようなところに向かった。道中、

id:toyaさんに助力をお願いして、はてな方面は彼女から、もう一方向で神奈川新聞に企画を持ち込んで、話題にしてもらうとか、ないかなあ。

と、やんわり食い下がって水を向けると、師匠は、

toyaさん(概念)は、確か隣りの小学校か中学校つながりの方で…でも、たかがこんないちブロガーの夢のような話に付き合って、はてなを動かせるだけの権力があるかというと…(無理強いはできない)(彼女は彼女で持っている役回りがあるわけだし)

とおっしゃる。

それなら、僕が勝手に、この日のことを書いて、しれっとIDコールを投げましょう。まめなtoyaさんのことだから、何かしら、反応してくれるのではないかと思います。

そんなわけで、この記事を書いています。

*

新宿の展示のあと、僕は急ぎの用事が入って(僕が世過ぎに担う、GWの医薬品物流はそれはもうてんやわんやの大騒ぎでした)、せっかく入った飲み屋をほどなく中座しなくてはならなかったのだけれど、黄金頭さんは、第2集を出すことに、控えめな好感触を伝えてくれた。

*

ここ数日、なんだかんだいって大向う受けを狙う、編集者だかその弟子だか知らないのがうんたらかんたらしているけれども、私は200年後、300年後を狙って、それはちょうど、今日、賀茂真淵本居宣長の書簡と一夜の対話に私たちが膝を打ち、書き物を残してくれたことに深く温かい息をつき、手を合わせる、その200年後300年後から見た「今/当時」を願いたいと思った。彼、黄金頭さんの「もの(尽くし)」「悲しみ」の感性は、いまさらいうまでもないが、本物だ。

goldhead.hatenablog.com

その本格の知性と感性を受け止める器を持ち合わせない、責はむしろ私たちの側にあるだろう。第2集は、寺山修司的なエッセイを軸にして、秋口あたりに出る可能性がいくぶんある。スターもブクマもいらないが、しかるべき暁には、ぜひ、(何の因果がこれを目にしたみなさんに)助力をお願いしたい。

(やはりおれのくーちゃん)

もうずいぶん前に、くーちゃんがまだ今よりもずっと小さいさんだったころ、風邪を引かせて、小型のケージに入れて、病院に連れていったことがある。

アパートの階段を下りて通りに出ようとした先、後ろから「あら、ねこちゃん?」という声がした。同じアパートの1Fに住む、めったに顔を合わせない、僕よりも10か15くらい上だろう、おば(あ)さんである。

「そうです。風邪を引かせちゃって。これから動物病院まで」

作り笑顔で相手をすると、

「あら、幸せね」

と、そのおば(あ)さんはいった。

*

幸せというのは、運命の内側に、それと知らずに居る(在る)ことだろうと思う。

たとえば、僕が最近つくづくと思う、「おじいわん」ソーヤ君のことだ。

僕は彼が大好きで、彼はどこかよそで辛い思いをした(らしい)後で、鈴音さんのところにやってきて、あるだけの幸せを振りまいて、そこで共に暮らす人の心に内側から明かりを灯して、そうして、静かに、ついこの間、虹の橋を渡った。

*

僕も、そうだった。どこかよそで辛い思いをしたのではない。生を授かり、おそらく、いくばくかの身の回りの人に、それなりの幸せを、手渡した可能性がある。

わがことを誇りたいのではない。おれは、ばあさんが横になっているそばで、タオルケットを敷いて寝ているのが好きだった。そしてばあさんは、自分が具合がわるいのに、おれからタオルケットが外れると、寝ているおれを起こさないように、身を起こして、静かに直してくれる、そんな人だった。

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おれは、幸せだったと思うし、くーちゃんがいま幸せであるかどうかを問うことを自分に戒めながら、下僕としての務めを果たそうと思う。などと都合のいいことをいいながら、おれはしばしば不安に襲われ、つい、いくつかの構造を取り出して、どの立場にあるだれが、幸せなのかを検証しようとするのだが、わからないことが多すぎるので、つい、「くーちゃん、幸せですか」と、問うてしまう。

まったく、万死に当たる行為というほかにない。

そして、そんなおれも、いま「内側」にあることは、ほぼ間違いないことのように思える。そのことが、何だか、そして切実に、だれかに対して申し訳ない気がする。