illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

よばひ星について

野暮をやろう!

 この人の感性はやっぱりすごい。

 「よばひ星」と、清少納言がなぜ尾っぽがないほうがかわいいと記しているか。

それは、夜這ひ星だから。妻問い、求婚のことです。

で、「流れ星」が一般的な解釈なのだけれど、これは流星ではなく彗星ではないかという説もあります。これ、989年9月に来たハレー彗星かな。何となく、清少納言の書きぶりからしてそんな気がする。しっかり観察して風刺を効かせている雰囲気があります。とすると、「彗星は少しかわいい。尾を引いていないほうがよかった」くらいかな。

清少納言は文章からも感じられるとおり、尾を引かないのが好み。

彗星、特にその尾は、異性(女性)を求めて夜をさまよう人魂を連想させませんか。

古語「だに」は「せめて」「~すら」くらいの強意です。「まいて」は一層。「尾がだめ。なければかわいさ増量だったのに」くらい。うーん、ニュアンスが出にくい。

筒井筒の話

今日は、品詞分解をしないで、季雲納言(id:kikumonagon)さんにちょっとしたプレゼントをしたい。

「筒井筒」である。本来なら、「『筒井筒』で立ちどころに通じることのない現代にドロップキックをくーちゃんにゃーん(´;ω;`)」までやるのだが、今回はやらない。←やっている。この矢印をいちど使ってみたかったのだ。

*

伊勢物語23段。原文の引用は(手抜きをして)ウィキペディアから。

むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでてあそびけるを、おとなになりければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとよりかくなむ。

 

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

 

女、返し、

 

くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき

 

などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。

さて年ごろふるほどに、女、親なくたよりなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国高安の郡に行き通ふ所いできにけり。されけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとようけさうじて、うちながめて、

 

風吹けば 沖つしら浪 たつた山 よはにや君が ひとりこゆらむ

 

とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。

*

極力このまま、訳します。「このまま」とあえて断りを入れたのは、「このまま」でない訳が余りに多いから。

*

昔、田舎まわり(行商や旅芸人のこと)で世過ぎをしていた人の子供たちが、井戸の(竹垣の)あたりに出て遊んでいた、それが大人になったので、男のほうも女のほうも互いに恥ずかしがっていたのだけれど、男はこの人をぜひ妻にと思っていた。女のほうはといえば、この人をと常々思っていて、親の世話をする縁談に応じないでいた。そうこうしていると、隣に暮らすその男から詠みよこしてきた。

 

井戸の竹垣に届かなかった私の背丈は十分な高さになりました。貴方を見ないうちに。

 

女は歌を返した。

 

互いに比べあっていたおかっぱの髪は私の方を過ぎるほどになりました。髪上げは貴方のほかに考えられません。

 

そんなことをいい交わして、二人はとうとう本意通りに結ばれた。

そしてまた時は経ち、女のほうが親を亡くして暮らしに困るようになると、男は二人でしがない暮らしをしているわけにはいかないと、河内の国の高安という郡に、通う先ができてしまったのだった。そうではあるのだが、元の女のほうは男を嫌だと思う様子もなく、高安に送り出してやっていたので、男は(自分の他に)男でもできたからそんな様子なのかと疑い、(あるとき)庭の植え込みの中にしゃがんで隠れ、河内に向かったふりをして窺っていたところ、女はたいそう美しく化粧をして、ぼんやりと(男の出ていったほうを)眺めている。

 

風が吹けば立つ沖の白波。貴方は真夜中に立つた山を超える。たったひとりで。

 

この歌を聞いて、男は女を心から愛しく思い、河内通いをしなくなった。

*

この話には高安の女の側のエピソードもある。それがまた格段に楽しいのだが、今日はやらない。

*

質問が2つある。

  1. なぜ男は河内通いをやめたのか。「浮気相手の元へ自分を普段と変わらぬ様子で送り出す妻の一途な愛情に打たれたため」などという、芸のない解答「以外の観点」から答えよ。
  2. なぜ女はとても美しく化粧をしたのか。Yahoo!知恵袋などインターネットのわるい解答をななめ読みして十分に打ちひしがれてから、このページに戻ってくること。

*

  1. 女の浮気を疑った自分に嫌気が差したから。解答2.を見よ。
  2. 平安以前、夢に出てくるのは自分を思う、自分に会いたい人だと信じられていた。竜田山で白波に飲まれたら男はあるいは自分を思い出して呼んでくれるかもしれない。真夜中だから、夢に出てくるだろう。そのとき、(暮らしは落ちたとはいえど)できるだけきれいな姿で会いたい。

*

以上は、いつもながらの長い前振り。

季雲納言(id:kikumonagon)さんのエッセイと、そこに現れる「弟君」には、そこはかとないイノセンスが感じられて、僕はいつも好きだ。いまは、筒井筒と、背や髪の伸びる、ちょうど間の時期にいるのではないかと思う。男性や、女性を強く意識する以前の、慕わしく、明るく、楽しい日々。季雲納言さんのエッセイからは、なぜか、ふと、そんな匂いが立ち上ってくることがある。

*

これは僕説なのだけれど、「筒井筒」は、あるいは「つつ居つつ」ではないか。(好きな人のことを思い)つつ暮らし(暮らしてはまたふと、好きな人のことを思う)。高安の女の話は、また次回にでも。

*

kikumonagon.hatenablog.com

彼は「誰かと同じゲームをするのに憧れてた」と言って私と同じアプリゲームを幾つか始め(そして私を当然の様に追い越し)、私にアイテムの支援をしてくれます。

(つд⊂)ゴシゴシ (ツイ サッキ ニタ ハナシヲ ヨンダ キガ…) 

 

それでも、ファンは見放しはしない

昨日の話には、実は続きがある。

dk4130523.hatenablog.com

ひとつは、テッド・ウィリアムズ(最後の4割打者)が、4割を記録した50年後のセレモニーで見せた振る舞いのこと。

こちらは、ウィキペディアで、さっと、ふふふっと、思っていただけたら。

しかし、最後の打率4割到達から50年後の1991年5月、フェンウェイ・パークにおける記念式典に招かれた際には、「新聞記者達は、ウィリアムズは偏屈で帽子を取ってあいさつもしないと書き続けたが、2度とそんなことは書けないだろう」とスピーチした後、レッドソックスの帽子を振って客席に向かってあいさつした。

いい話だ。より正確に記せば、好きな種類の話。この味わいが、スポーツ新聞に平然と、ごく当たり前のように、毎日だれかしらの手練れ、職人によって載る国があるとしたら、その国は文明度が高いように思う。

話が縒れた。

山際淳司が「ミスター・サイレンス」という時事エッセイを残している。91年6月15日。僕が大学に入った初夏のことである。ドラゴンズの落合博満の沈黙、マスコミとの間に引いた一線を、ふと思い出してひとこと記しておきたかったのだろう。

沈黙をつづける落合は、ファンにとって身近な存在でなくなりつつある。少し遠いところへ行ってしまったかなと思う。しかし、その距離感が、ぼくには貴重に感じられる。星=スターは、距離を置いてこそその輝きを実感できる。落合の沈黙は、その原因はともあれ結果としてほどよい距離をつくりだしている。語らない男の背中を見て何かを感じとるしかない。かれは想像力を刺激してくれる唯一のプロ野球選手かもしれない。

「ミスター・サイレンス」(角川文庫『スタジアムで会おう』P.131)

ここまでだけでも、十分に、いま2010年代には失われてしまったスポーツ・ノンフィクション、スポーツ・エッセイの琥珀色をした何かがあることが伝わってくるだろう。

しかし彼、山際淳司は、いやみなだめ押しにならないように(おそらく、自然に、ならないのだろう)、次のように付け加える。

通算323勝をあげたアメリカ野球の大投手スティーブ・カールトンはかつて落合と同じように一切のインタビューを拒否し、沈黙を守りつづけた。期間は8年。ミスター・サイレンスはそれでもファンから見放されなかった。

この段落によって、僕の頭にはスティーブ・カールトンという名前がしっかりと刻み込まれた。

 *

(以下、消しました。)

返事はいらない

僕にとって最高潮につらいのが、好きな人に渡したラブレターに返事をもらうことだ。

ぜったいに、いらない。実際、渾身の(と呼べるだろう)ものを半生で3通出した。そのどれも返事をもらっていない。逃亡した、はぐらかした、もらってそのままダンボール箱にしまい黄砂となった。

では好きだった気持ちがうそだったかといえばそうではない。手紙を書くくらいだから。

*

けれど、それと返事をもらうことは別もの。だいたい(こういういいかたをするからよくないのだけれど)返事がほしいとは僕はいっていない。反面からいえば、あるとき、大学院生のときに好きだった女の子とそれっぽい関係になり、「私の気持ちを知りたくないですか」といわれた。僕は戸惑い、まずその場を立ち去り、なんと返事をしたものか三日三晩くらい悶えて、「よく考えたのだけれど気持ちを知りたいといった覚えはないから」と、その女の子の友だちから伝えてもらった、それくらい本格的な及び腰なのである。ちなみに、その女の子は、それでますます僕に興味を持ったらしかった。「火が点いたのよ」と、僕の性格をよく知る別の女ともだちは「ばかねえ」というふうに教えてくれたのだが、火を点けたことに僕はまるで身に覚えがない。「そういうところがだめなのよ」

*

ばあさんに、手紙を書いたときだけは別だ。返事をもらうなり「いま読んでいい?」と訊いて、「読んでくれるかい」「うん!」と、俺(5つ)は即答し、音読した。ばあさんは涙ぐみ、俺をいい子いい子して、おいしいさつまいもを蒸(ふか)してくれた。

*

くーちゃんに、「くーちゃん(´;ω;`)」「ちゅきちゅき」と話しかけるときも別だ。くーちゃんは「ふにゃあ」と返事をしてくれる。それも、ウェブで覚え知ったのだが、サイレントに近い声で。子猫が親猫に甘えるときに出す声らしい。

*

ここで是非に断っておきたいことがある。俺はばあさんの気持ちやくーちゃんの気持ちを知りたいなどと思ったことは一度もない。そういうことを言語化する以前に、本当に好きなら、自然に(ここ点々打って)何かとして現れる。知りたいと思う暇がないんだ。

これは、説教や定式化ではない。

つい、思わず、涙ぐんだり、甘えたサイレントの声が出たり、してしまうのだろう。「俺はそういうものしか信じない」と、かつて別れた妻に話したところ「それは肉親の愛情。貴方の限界はそこにあるわ」と、作家船橋海神に対する本質的な批評を頂戴した。やはり俺は間違っていたのだ。

*

俺ははてな界隈の辺境、海辺なのだか崖の縁なのだか、に暮らすある文人のファンだ。彼は滅多にスターを付けないことでも知られる。

テッド・ウィリアムズは―若い頃から気難しがりやで知られていた―引退試合でも普段通りにプレーし、セレモニーも、ファンサービスも行わなかった。ばかりか、ファンの声援に帽子をとって応えることもせず、つまり一切を拒否した、そのように見えた。

「神は返信しない」(“Gods don't answer letters.”)

当時「ザ・ニューヨーカー」の記者を務めていた(作家になる前の)ジョン・アップダイクは、そう記して偉大なる三冠王のことを称えた。

返事はいらない (新潮文庫)

返事はいらない (新潮文庫)

 

 

速報 - 謎を2種類に分けてみては

大変に魅力的な論考で、コメント、あるいはツイートに収めて済ますには余りに惜しいため、言及します。

www.watto.nagoya

確か初期の柄谷(行人)だったと思います。優れた文学作品には、作者自身がどうしようもなく、解くことの出来ない/なかった「謎」が投げ出されている。例えば、漱石「こころ」。なぜ、Kが自殺したのか、先生には分からない。「私」には、先生の遺書が謎めいて見える。

言葉と悲劇 (講談社学術文庫)

言葉と悲劇 (講談社学術文庫)

 

 

漱石論集成

漱石論集成

 

(92年とか93年って僕はこんなことばかり考えていたのですね。)

これらだったかな、あるいは「反文学論」のほうだったかな。

ここに属するのが、謎の第1種。

*

対して、これも柄谷だった気がします、あざとい謎というのがある。柄谷はそのとき金閣寺/豊饒の海を引いてはおらず、引き合いに出されたのは別の誰かの何かの作品だった記憶がありますが、勿体ぶって、作者が作中で謎を明かさない「謎」。「自意識ばかり目立つ」みたいないいかたをしていた漠たる記憶だけがあります。ともあれ、これが謎の第2種。

*

三島由紀夫は非常に微妙で、彼自身、何かしらの「謎」を小説で解こうとしていた節、これはもうぷんぷんしますよね。切腹でなくて生誕の方角で。

と同時に、彼は意地がとことんわるいから、

南泉は、虫歯を抜くように美を剔抉〔てっけつ〕(という語を三島は用いた)するために猫を斬ったのであり、趙州が履を頭に乗せたのは、たとい猫は死んでも猫の美しさの根源は死んでいないじゃないかと諷するためだったと、趙州は虫歯の痛みに耐えるように美の存在に耐えるしかないと主張したのだと、柏木は説くのである。

この部分に対して、わっとさんと僕は仮説の持ち方は違うのだろうけれど、感じ方、センサーの反応の仕方が接していると直観しました。

その上で、僕には、ここ、三島が自説を信じていないで(で、だから、あーもう、日本語の不自由な日本の私悶絶、三島はで、だから、美を信じて)いるときの匂いがぷんぷんします。それでいて、おれが一番この謎の解釈に肉薄しているのじゃないかふふふん、という匂いも隠しきれずにする。というか、謎に迫るのではなく、謎の構造を見抜く例の頭のよさで、何かの置き換えをしている。そしてそして、諸君、それでいて、この謎は三島にとって切実だったのだろうなと、ほぼ確信される。

これが謎の第3種。

三島の自意識は例外中の例外だから、普通に考える場合には2種の大別でよく、いやあ、わっとさん、すばらしいなあ(笑)。すみません、ここ数日寝不足が著しいので、投げるだけ投げて寝ます。おやすみなさいごめんなさいw(言迷木亥火暴

*

(追記)

追記:

dk4130523(id:cj3029412)さんから言及をいただきました。感謝しつつ勝手ながらリンクを貼らせていただきます。

くそっ、悔しい! わかっているんだ。私には、ある種の文学的感性が、それを持っている人々に比べて決定的に劣っているのだ。彼らには感じられても、私には感じられないことが山ほどあるのを知っているのだ! わかってはいるけど、どうすることもできない(`;ω;´)

ご参考まで、私は狭い井戸をへそを曲げながら掘っていたら水が出て「石油だ石油だやっほーやっほー」と叫んでいるだけの生き物で、わっとさん id:watto のサーチライトの視野角、首振りの柔軟性、謎をそのまま謎と投げかけてくださる姿、それがそのまま、読者数の差としてあらはれわたる瀬々の網代木、云々、まあ、こんなときには、黄金頭さんを一緒に読みましょう!w おやすみなさいませ。本当に、なんというか、思考を触発されて、先のシリーズからの今回の記事への展開、お見事でございます。三島にはめられた…

文通の話 - ダチョウ倶楽部の件 PART2

これまで誘われる機会のなかった女性社員のグループから昼食に誘われた。

なんとなく、そんな気分だったらしい。「なんとなく、そんな気分なんです。だめですか」と尋ねられたので、だめの理由がない、行こうかと、論理回路で返すだめなおれである。

*

「メンヘラさん、休みの日は何を」

「仕事」

「そういうところがだめ。仕事以外で何してはるんですか」

「うーん」

「じゃあ訊き方変えます。(中華のお店だったこともあり)横浜の中華街に行ったことはありますか。ありますよね。私たちに行けないような高くておいしいお店知ってそう」

「ある。そういえばおれには横浜の崖のそばに住んでいる友だちがいるんだ」

「へえ」

「その友だちのところにちょくちょく出かけるんだけど、たいてい彼は留守にしている」

「あはは。おかしい。会えないんですね」

「うん。それで、中華料理を食べる気を失せて」

「はい」

「そのまま帰ってくる」

「なにそれー。寂しいですね」

「それがそうでもない」

「?」

「文通してるんだ、彼と」

「きゃー、急に古風でロマンチックな話。手紙いまないんですか」

「あるよ。あるけど、読めないんだ。見えないインクで書いてある」

*

去年のいまごろは、物語を書き上げた後、地中海の気候のいいところで、ゆっくりと野垂れるのがおれらしいと、物語を書くことと、旅のプランを練ることが頭の大半を占めていた。

生きていて、よかった。血液グループ先生が、よよん君のことを自分ではその関係(性)、結びつきを決して認めたがらない、まして、よよん君には面と向かって口にはできない気持ちが、いまならよく分かる。そんな気がする。

*

www.youtube.com

dk4130523.hatenablog.com

ダチョウ倶楽部の件

もうずいぶん前に亡くなった慶応の加藤守雄さんが、海老沢泰久「みんなジャイアンツを愛していた」の解説を記している。文学史上では加藤先生は―これは不名誉な表現になりかねないのだが―著作「わが師折口信夫」によって、折口の男色、同衾を克明に明かし記した人として知られる。

わが師折口信夫 (朝日文庫)

わが師折口信夫 (朝日文庫)

 

功績があたかもその点に集約され、結果、研究者として、一流でなかったように聞こえてしまったとしたら、申し訳ない。そんなことはない。そしてこれもまた、微妙な表現になるが、加藤先生は、結局は、折口から「そのような傾向」のないことにより、師事を離れることになる。

折口は遠く離れて思ふもの。斯く詠ふ「をかし」「あはれ」ならむ(57577)

(わいの歌です)

*

そこじゃないんだ。昭和62年に加藤先生は記す。1983年秋の日本シリーズ観戦、西武球場に、加藤先生は海老沢泰久に誘われる。

www.youtube.com

で、一緒に外野席で観戦しているわけ。その流れで、加藤先生は次のように記す。

49年(引用者注:原文は「四十九」。昭和。1974、ジャイアンツ10連覇を阻止したドラゴンズ二度目の優勝の年である)に「小説新潮新人賞」をもらった時も、ちょっとした気まぐれなんだろうと思って、受賞祝いのパーティーには出たが、小説の方は読まなかった。わたくしが彼の作品の熱心な読者になったのは、『監督』以後のことである。寡作な彼の本が1年に1冊か2冊しか出ないのを待ちかねて、送ってくるとその日のうちに読み、いつも感心した。

加藤守雄による「解説」(海老沢泰久『みんなジャイアンツを愛していた』P.236)

ここで言及されている「作品」は、おそらく(ほぼ間違いなく)「F2グランプリ」「ただ栄光のために」「二重唱(デュエット)」辺りのことだろう。いや、いいんだ。ブックオフには、僕が買い占めたから、もう弾は碌にないはずだ。そのことがいいたいんじゃない。

引用を続ける。

亡くなった池田弥三郎もその一人だったし、教授の西村亨や檜谷昭彦もそうだった。西村が本の扉にサインして貰って、少女のようにはにかんでいるのを見たことがある。

(同)

*

今日、黄金頭さんにブックマークしてもらった。俺はにこにこしている。(お前ら、このことは、黄金頭さんに伝えるなよ。伝えるんじゃないからな。だめだ。絶対に、だめだ)

いつか、リングサイドで - illegal function call in 1980s

"僕の、大橋克行/秀行会長方面への取材によると、井上尚弥がやはり「ピカイチ」らしい"

2018/02/04 17:31

b.hatena.ne.jp

www.youtube.com