illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

往還の別れて知るや逢ふの坂(575)

あけましておめでとうございます。

2018年4月から2019年3月に160億円の売上を作らなければならないメンヘラ部長(44)、趣味は中世古文、部下70名、バツ1、ハイパー高学歴、趣味は料理と水泳とめそめそすること、好きな言語はZ80です。

申し訳ないですがくーちゃんは誰にもあげません。

*

shougomama.hatenablog.jp

すばらしいものを読みました。

私は、少し違うと思います。

shougomama.hatenablog.jp

こちらのほうが、なんとなく、「合っている」ような気がします。

それから一生分の親孝行もしてくれました。

今思うと、まるで自分がいなくなるのがわかっていたかのような気がしてくるのです。

実家に帰ってきてから一年で亡くなってしまったのですから。

これからまだまだ、何処かへ行ったりしたかったですが、それも叶わぬ夢となりました。

私は、何度でも繰り返し書こうと思うのですが、Shogoさんは、親孝行が現世の目に見えた形では「足りなかったなー」ということは思って、分かっていらっしゃる。おそらく、これから id:ShougoMama さんがどこかにお出かけになるでしょう。そのときには、例えば夜道なら、頭上から足元をそっと照らす灯火に、きっと、なってくれる。これは別に宗教や非科学でも何でもなくて、昔から、数多くの文学作品がそのことを説いています。

*

あの、唐突ですが映画タイタニック、実に大学生デート向きのくだらない筋書きだと思うのですが(あれでは映画のあと口説き落とすことはできない)、

ひとつだけ胸を打つシーンがあります。ラストに近いところで、ローズは、ジャックと約束した未来を、ひとつひとつ生き延びた生で、実現していきます。当時の女性にとって「はしたない」行為とされていた、馬に跨って乗ることとか(横座りがスタンダードでした)。自由とか、女性解放とか、僕はそういうのは思わない。左右もされない。けれど、ローズの生はジャックによって確かに変わった。その、「誰かの生が、誰かによって確かに変わる」こと、これは控えめに言って、あり得ると思うのです。

僕自身が、物語を書いて、そうでした。

*

例えば、ShougoMama さんが、Shogoさんが、自身で「これをやりたかったなー」「やっておけばよかったなー」あるいは「母さん、これをやってみなよ」と、仰りそうなことが、きっとひとつふたつ、あるいはそれ以上に、思い浮かぶことがあると思うんです。それを、2018年は、やるといいのかな、なんてね。

僕もそうです。2001年4月25日に母を見送ってから、彼女は僕に「狭いところにいないで世界を見なさい」としきりに説いていました、だから、僕は僕なりに世界を見るように努めてきた。とても間に合わないのだけれど。

話はまた変わりますが、猫が短い期間の子育てを終えると「シャー」と威嚇して、産んだ子を追い立て、自立を促すでしょう? 私の母はあれのいささか過激な形だったように今更のように思います。(ブログを拝読する限り、ShougoMama さんはそのようなことはなさらない方とお見受け致しますが。)

*

誰かの代わりに、夢を見る。

この記事のタイトルは蝉丸、

【百人一首講座】これやこの往くもかへるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関─蝉丸 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

これのもじり、当世風にいえばパクリですが、私これ、常々、不思議な歌だなあと思っていまして。蝉丸は、京滋の間の関所、逢坂を行き交う人の夢に寄り添って、彼ら彼女たちが夢の中で出会ったり、別れたりするところを、もにょもにょと夢現(ゆめうつつ)に、まるでお釈迦様のように見て、歌っているのですね(違う? 反論は受けて立つぜw)。本歌、小倉百人一首の、圧倒的屈指の一首といっていいでせう。蝉丸よくやったw

*

悲しみそれ自体が、原因にまで遡って消えることはないでしょう。けれど、その悲しみに代わって、同じかそれ以上の量の夢を見ること、これはきっとできると思います。私が自分の記した拙い物語で、その出発点、糸口にしようとしたのが、それでした。

dk4130523.hatenablog.com

*

すみません、新春迎春には、似つかわしくない記事かもしれません。

ですが、私は2017年に続く今年2018年を、ここから始めなければと、年末来、ずっと思っていました。

往還の別れて知るや逢ふの坂

往と還は、別れて初めて知るものなのだろうか。逢坂の関よ。

ShougoMama さん、ぜひ、今年も記事をお続けになっていただけたらと思います。その形容し難い(何とも言えず優しく流れるような)言葉の数々に、心を動かされている方は、私以外にも、きっといます。

がんばり入道の件

すみません、勝手に宣言して、許可を得ないうちに、やりますw

kihiminhamame.hatenablog.com

がんばり入道 『嬉遊笑覧』より - うきよのおはなし~江戸文学紹介ブログ~

あの、私、在野で中世古文をやっておりまして、たまにその、北見花芽 (id:KihiminHamame) さんの紹介されたものを、忠実訳を行う、品詞分解する、岩波古語辞典から薀蓄を引く、つまりその勝手コラボしてよろしいでしょうかw

2017/12/31 12:21

b.hatena.ne.jp

ひっじょーうに面白いw 吉行淳之介の好みでせうこれは。わいの出番や。

がんばり入道
又小児の諺に除夜に厠にてがつぱり入道ほとゝぎすといへるも厠にほとゝぎすを聞を忌ることよりいひ出しとみゆ
〔好色徒然草〕むさしの国にがんばり入道とかやいふ者のむすこ美男のほまれ有て女あまたいひわたりけれど此男若衆をのみ喰ひ更によねのたぐひをくはざりければかゝることかきたる者俗に有べからずとて親出家させけり
此戯文も諺をとれるかかんばり共いふ眼張にてをそろしけなるものを云ひてほとゝぎすを怖(オト)す意なるべし

訳すよ。北見花芽さんのところはご自身記していらっしゃるように【ざっくり現代語訳】。私は、えへん、中世古文命である。その知見を今焉んぞ生かさざるべき。もちろん江戸古文は違うんだけどさ。いいじゃねえか。固いこというな。ちょっとはおまけするからw

*

がんばり入道

それからまた、子供(向け)の諺(、教訓)に、大晦日の便所で(大晦日に便所に行って/行ったら)「がっぱり入道ホトトギス」と唱えるというのがあります。これも、便所でホトトギスの(鳴き声)を聞くのは(縁起が悪く)避けたほうがいい[*1]というので、そこから(誰かが)いい出したことと思われます。

[好色徒然草武蔵国の、がんばり入道某の息子、男前の誉れ高く、女が放っておかない。けれど本人は若衆の尻にばかり興味が向いて、娼婦にすら一向に手を出そうとしない。それだもので、「こんな、男として(の要が)欠けた[*2]者は俗世に置いたままにしてはよくない」と、親が出家させてしまいました。

この戯(ざ)れ話(は/も)、冒頭の諺から着想を得たものでしょうか。(がっぱり/がんばりは、)「かんばり」ともいいます。私(筆者として)は、眼(がん)を見張る(はり)と、いかにも怖そうなものを言葉に出して、ホトトギスを恐れさせるのが本意ではと、思います。

*

[*1]ホトトギス(1)鳥の名。初夏に鳴き、その声が人の叫び声のように感じられ、人恋しさを誘う。古来、冥府の鳥とされ、橘・蓬・菖蒲など、不老不死伝説・復活伝説に於ける生命の木や草と関係して使われることが多い。【岩波古語辞典補訂版P.1200】

[*2]ことかけ【事欠け】。必要なものが不足する。不自由する。【同P.514】

*

もうひと声、言及したいこともあるのですが、禁欲します。大晦日に子供に雪隠でおまじないを唱えさせるというね。ひっじょーうに、面白い。しかし、その面白さ、豊かさの源泉を、きょうは大晦日、分析的態度によって言語化したくないのであります。

*

すみません、北見花芽さん、たまにやります、やらせてください。いや、そういう意味ではなくて、訳と補注をですね。がっぱり入道ホトトギス!

みなさま、よいお年を!

「許し合わないままでいる」ことについて

広岡達朗川上哲治の話をします。id:kozikokozirou さんの一連の思いのこもった記事に触発されました。

*

広岡が1978年にオリンピック・エンゼルスの監督として、それまで「ドンケツ」と揶揄されていた球団をかき回し、選手たちの尻を蹴飛ばしてジャイアンツとの壮絶なデッドヒートの末に優勝をもぎ取った話は知られていることと思います。私も何度かこのブログで書きました。

全裸監督 村西とおる伝

全裸監督 村西とおる伝

 
監督 (文春文庫)

監督 (文春文庫)

 

しかしその道のりは平坦ではありませんでした。古株の反発、エースの気弱、広岡自身の迷い。そういったものの中で広岡は「誰かに自分の心が、サインが覗かれている」という奇妙な感覚に襲われ、取りつかれます。3月末に始まる快進撃から3か月が過ぎた7月のことだったと記憶します。監督が迷ってはチームが勝てるはずがありません。

迷った広岡はかつて自分を愛するジャイアンツから追い出した川上の家を訪ねます。そこで二人は野球の話をします。自分が誰かに覗かれている気がするということも率直に川上に伝えます。あれこれ話した後、二人は遺恨をすべて許しあったわけではないのですが、互いに流れる野球に対する共通した考えを発見します。

それは野球は勝つためにするものということでした。固有名を挙げればそしてそれは二人が父のように仰ぐ正力松太郎の精神のために。この部分は「監督」ではさらっと触れられているにすぎませんので、よろしければ「みんなジャイアンツを愛していた」のほうを参照してください。

対話を終えて広岡を送り出すときに川上はいいます。

「君ならできるよ」

広岡の不安がどう解消したかは「監督」という物語の肝の外せない1つですので、言及しません。ぜひ上掲の2冊をお読みいただければと思います。

*

川上は広岡にずいぶんと手ひどい仕打ちを行ってきています。まず、入団6年目に主将に任じられた広岡に、(おそらく自分と似たものを感じて)「反主流派」のレッテルを貼り、ジャイアンツを追い出したこと。

1970年頃、根本陸夫に請われてカープのコーチに転じる前、評論家として活動していた広岡がジャイアンツの海外キャンプに取材に訪れた際には、選手たちに暗に広岡には接触するなと指示したこと。

80年、長嶋の監督不適任が明らかになり後任が取りざたされたとき、その筆頭の1人に挙げられた広岡よりも家庭ぐるみで付き合いのあった藤田元司を推したこと。並行して(自らは遂に認めませんでしたが)ジャイアンツの球団社長あるいはGMに就こうとしたこと。それには広岡が邪魔だった、邪魔だったとまではいわないにせよ、広岡を監督に据えたらかつてのように衝突が目に見えていたから疎んじたこと。

*

そのような経緯があったにもかかわらず、広岡は迷ったときに川上の元を訪ねます。繰り返し記しますが、二人はそのことですべてを許しあったわけではなかった。けれど、川上は「君ならできるよ(苦境を乗り越えられる)」と伝えます。

(ただ、このシーンはおそらく史実ではなかろうと思います。しかしそれでも、だからこそ、海老沢泰久は挟み込みたかった。僕はそう解釈(ほとんど確信)しています。)

*

そして、川上は川上で、広岡にエールを送ったことを記さなければフェアではないでしょう。82年、広岡がライオンズを日本一に導いた年の正力松太郎賞選考委員の筆頭格であった川上哲治は、次のように述べたと海老沢泰久は伝えています。

「初めから、この賞に値する働きをした野球人は広岡ただ一人だと私は思っていた」

*

正力松太郎という(いささか問題があるにせよ)父として仰ぐ存在の跡目争いを行う、長兄と次兄。川上と広岡にはそんな関係が見て取れると思います。意地悪くいえば、川上は、広岡がジャイアンツで川上的に振る舞うことは許さなかった。よそ(ライオンズあるいは千葉ロッテ)で川上的に振る舞うことには寛容だった。もちろん、僕は広岡さんの側に立つほうです。

広岡は野球人生の終生ジャイアンツのことだけを思っていた。そしてそれがジャイアンツで、報われることはなかった。そここそを、海老沢泰久は彼=広岡の人生の中でもっとも取り上げるべきこととして大切に扱い続けた。

*

海老沢は、彼にしては珍しい若いころの自伝的エッセイで次のように記しています。

ぼくは茨城県の田舎で生まれ、1960年代の終りに常磐線に乗って江戸川を渡り、東京に出てきた。私立大学に合格したというだけで、そのときのぼくには何もなかった。自分の匂いのする部屋もなければ、ぼくを知っていてくれる友だちもなく、ぼくのための町もなかった。ぼくは自分の力だけで自分を矜持しなければならなかった。それは自分で信頼できるもうひとりの自分をぼく自身のなかに発見することだった。そしてそういう姿勢は10年が過ぎたいまでも変らずにつづいている。何かに手がかりを失ったとき、しっかりしろ、とバカみたいに自分を叱咤するのはそのためだろう。

dk4130523.hatenablog.com

海老沢が父親との関係を直接的に表した部分は見たことがありません。しかし、どうも何かしらあった匂いがする。それは肉親という意味での父というのではなく、社会というパターナリズム、それへの反発、だったのかもしれません。

ただ、あえてわが身に引き付けていうのならば、僕は肉親を理解し、その上で全き許し合いをするのではなく、許し合わないままに別の道を自分の足でしっかりと歩み進んでいく先にこそ、何か新しい地平が開けてくるように思います。わがことを思い返してみても、それは心の平穏にもつながり得るはずだと感じます。

申し遅れました、id:kozikokozirou さん、みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

津の国と云へど摂津の国の昆陽(575)

どうでもいいことなんですが、和泉式部の才能と技法の詰まった一首がどんぶらこと流れてきたので黙っちゃおれない郭公(ほととぎす)。

津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ葦の八重葺

すげー。たまらず品詞分解する。

津(名詞。現代の津ではなくて摂津。ドラゴンズの摂津ではなくて律令摂津)

の(格助詞)

国(名詞)

の(格助詞)ここまで、「こや」を引く枕詞

こ(カ行変格活用動詞「来」命令形)

や(係助詞。強意)また、「こや」で昆陽に掛ける。掛詞

と(格助詞。引用)

も(係助詞)

人(名詞。中世古語の人は、思い人)

を(格助詞)

言ふ(ハ行四段活用動詞「言ふ」連体形。助動詞べしの接続=上に乗る形は連体形です)

べき(当然の助動詞「べし」連体形。次の「に」が「それなのに」の「それ」=体言を乗せている)

に(格助詞。逆説)

ひま(名詞)

こそ(係助詞。係り結びを作る。強意)

なけれ(シク活用形容詞「なし」已然形。已然形は上の「こそ」の結び)

芦(名詞)

の(格助詞)

八重葺(名詞)

訳す。57577だw

伊丹昆陽(いたみこや)/小屋を訪ねて/来てねと言・い出せない芦・目のあたしです

※芦目。僕の即興造語ですけれど「胸がいっぱいでまるで芦の目詰まりのした屋根のよう」aikoみたいな。

*

和泉式部ってすごいでしょう? 元歌「葦の八重葦」のダブルで来る葦を、「芦」「あたし」に乗せてみたんだけど、元歌はそんな小賢しい真似をする必要がない。駄目押しでいえば、摂津→難波→難波潟→芦の産地って自然な連想が働いた(当時は)。

ちなみに、栃木両毛線、小山と栃木の間に思川という桜の名所がある。いま無理して行政主導で恋の町なんていってるけれど、それじゃうまくいくはずのなかろうもん。

どうしたらうまくいくかって? 歌人の出番でしょう。例えば、新沼謙治石川さゆり。北島サブちゃん。ご当地ソングの発祥は実は(何が実はだ阿呆か俺は)中世和歌にあった。(当たり前だ。)

*

和泉式部はすごいなあ。

其(そ)はなかなかに/暴力的な/蒲公英の種(777)

歌集、出していらっしゃるのかどうか存じませんが、第一歌集は「種子」がいいと思います。

信じられない(褒めている)。非常に暴力的である。

  • この星じゃない何処かまで飛んでゆきそこで咲こうと種は夢見た
  • 種子は見るアスファルトの殻ぶち抜いてこの星全部森にする夢

このタンポポの種子は、かなり(追記:行儀が)悪くて(万感を寄せて褒めている)、

  • 雨が降る匂いがすると話す子の言葉通りに雨は降りだす

おそらく、この小さい子とも内通しているんだ。そしてこの子は、雨がいつ何時どこで降り出す情報を種子から得ている。非言語の領域で。

*

そして、空に樹木に司令を出す。

  • どうやって互いの距離を測るのか教えて欲しいクラウンシャイネス

(返歌)

どの馬もロマンチックに眠るとき黄昏れ時は年の瀬の鐘

あれ? 馬の名前じゃないのかw 距離って、首差とか鼻差、馬群の割れる、あれのことかとてっきり…

*

クラウンシャイネスの歌は、これ、想起させる絵柄がユーミンですよね。ちょっと違うかな。それで思い出した、

open.spotify.com

バブルの頃をいい意味でやわらかく象徴するシンガーがいて、

梅雨を快適に過ごすための「雨」にまつわる名曲10選 - 世界のねじを巻くブログ

野田幹子 Rain Forest を久しぶりに思い出させてくれました。あと TOTO Africa とか。坂本教授のアルバムは僕もよく聞きます。

2016/05/26 07:08

b.hatena.ne.jp

俺、前にもコメントしてるな(笑)。

野田幹子「Rain Foresst」いいんですよ。ひっじょーうに、よい。

www.kget.jp

非常にその、何ていうんでしょう、遊佐未森宮城県仙台市出身)前史? クロスオーバー? いや、前とか後とかいういいかたは失礼だな。それでも、正直にいおう。俺は野田幹子派だ。Rain Forest 100回聞いて100回おかずなし白米で行ける。お前ら黙って聞け。俺の話じゃなくて野田幹子だ。

*

タンポポさんの歌に話を戻して、優れた歌というのは、ここまで想像、remindを飛躍させ、遊ばせてくれるんですよね。30年ひとっ飛びしたぜおいら。これは優等生には出来ない、不良、暴力の歌、ならではの遊びであると思います。

tanpopotanpopo.hatenablog.com

ご本人の詠み、読みは違うかもしれない。

私は自分の事を、タンポポの花ではなくふわふわ飛んでいる種のほうだと思っているのです。

それにしては、ずいぶん強引な(「アスファルトの殻ぶち抜いて」)歌だw すばらしい。すぐれた種子は十分な二面性を備えているらしい。

深い感銘を受けました

漱石は「こころ」、三島は「近代能楽集」(仮面の告白っていうと思った?)、筒井は「わたしのグランパ」(旅のラゴスっていうと思った?)です。

www.watto.nagoya

失礼ながら、いろんなところに星を付けまくったんだけどw これが読める喜びっていうのは、まさにインターネット日記時代のあれであり。wattoさんずいぶん踏み込んで書いていらっしゃる。というか、すぐれた文学作品と格闘すると、おのずとそこに運ばれていくのね。

「居ても立ってもいられぬほど感情を揺り動かされ」ることがあると想像できるのは、私自身にそういう経験があったからに他ならない。ではそれがいつだったかと言うと、いくつかあって、その一つが筒井「七瀬三部作」を読んだ時だった。私の高校時代が、シリーズの発表期間と重なったのだ。なんだか告白するのは気恥ずかしい気もするけど。

うんうん。僕の中高時代に、発表期間が重なった歴史的名作といえば、

ぼのぼの 1 (バンブー・コミックス)

ぼのぼの 1 (バンブー・コミックス)

 

もうねえ、開いた口がふさがらなかった。第1話。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/images/igarashi-bonobono.jpg

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(3): たけくまメモ

これはねえ、漱石でいうところの「それから」なんですよ。うそうそw

*

wattoさんの印象的な書きぶりに戻ります。

のちに大学で本格的に心理学を専攻する友人と話をする機会を得、岸田は完全なイロモノであり、本家のフロイトすら古典的な価値はさておき臨床的にはすでに時代遅れと聞かされて、興ざめを感じたりもした。岸田は、後日けっきょく精神科医による投薬治療を受けることになる。

これほどまでの容赦ない岸田秀批判を読むのは実に久しぶりです。

これに関しては、興味深く感じるのと同時に、がっかりしたような気分にも襲われた。大きなお世話だろうが「自力で決着つけられなかったんかい?」という気持ちと、あと、薬物療法という専門家以外にはアクセスの容易ではない手段が解決に用いられたことに対する疎外感、無力感である。

決着…うーん、決着…御意。御意でござる。そして、これはその、wattoさんの今回の記事の本題本線であるところの、「宗教的なもの」にも関わると思うのですけれど、つまりその(あー俺言っちゃうよw)岸田秀の唱える精神分析なる「宗教」、これは胡散臭い。あのー、語弊があるのだろうけれど、宮沢某の「雨ニモマケズ」手帳の最終頁になる「南無妙法蓮華経」の、怪しげなる荘厳。あれ、一体だからね。「サウイフモノニワタシハナリタイ 南無妙法蓮華経」だから。

*

漱石は、拒絶したのよね。おそらく。彼は幼いころから浄土真宗禅宗との関わりがあって、江戸趣味もある。理性とへそ曲がりでぎりぎりの綱渡りをしたのではなかったかのう。ちなみに、近代文学(者)を論じる際の「宗教」「趣味」軽視に明察を加えたのが丸谷才一山崎正和のこれで、

日本史を読む (中公文庫)

日本史を読む (中公文庫)

 

大変参考になります。ただ、wattoさんの仰るように(こと漱石に関して僕の口から補えば)「明暗」に至る道には、確かに何かしらの「宗教」的な要素がある。そこは、今後の研究の待たれるところだと思います。三島と、筒井は…えーと、いがらしみきお先生に出陣願ったので、今回はこの辺でお開きとさせてくださいw

あ、1冊忘れていました。

保守反動思想家に学ぶ本 (別冊宝島 47)

保守反動思想家に学ぶ本 (別冊宝島 47)

 

いまでは入手困難かな? 岸田秀がけちょんけちょんに品よく叩かれています。誰に? 呉智英と絓秀実に。

 *

訂正。

「80年代の正体」でした。

80年代の正体 (別冊 宝島)

80年代の正体 (別冊 宝島)

 

 

サクラアンプルールです

サクラアンプルールです。理由などありません。キタサンブラックは来ません。ヤマカツエースは名前が嫌いです。

以上です。各1,000円。取ったら船橋港から横浜まで瓶に入れてお届けしたい!

goldhead.hatenablog.com

午後、船橋競馬場に行って参ります!