illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

スナックの隣の神社までの旅(575)

風邪を理由に会社を休んだので大変に気分がいい。しからば営業部長は夜の開拓に出ねばならないのである。つらい。

*

2001年4月25日の明け方に母親を見送った話は、前に記した。のでもう話さない。

dk4130523.hatenablog.com

それから15年後の2016年4月25日に、ある男の子が生を受ける。

そこには科学も因果も相関もない。しかし機縁を感じる(ここ点々打って)ことはできるだろう。勝手な思い込み? それは違う。

www.calmin.org

はる君、イケメンでがんばりやさんやねんな。

わいも未熟児やった。5月20日に生まれる予定のところ早う世界が見てみたいと3月の末ににょきにょき生えてきた。44cm、2,000g足らず。未熟児で、保育器に入り、だからわいは根っこのところで母ちゃん成分が足りないねん。ときおりブログで感受性が荒れた様(さま)を晒すのはそのせいもあるのや。

幼稚園、大変やったんやで。まる一年違うのやから。4月に5歳を迎えた子と3月末に4歳になった子とでは体格もしゃべる言葉もまるで違う。わいがどんな局面でも泣きながらドロップキックを打つことを覚えたのはそのときや。

*

わいは大人になってもうひとつ覚えたことがある。星の王子さまがゆうとるこれや。

――さよなら。
と、王子は言いました。
――さよなら。
と、キツネも言って、こうつづけました。
――ぼくの秘密を教えてあげるよ。とても簡単なことさ。心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない。
――いちばん大事なことは、目には見えない。
王子は、忘れないように、くりかえしました。

matome.naver.jp

洋の東西、きつねはお別れのときに初めて、一番大切な人に一番大切なことをいう。徳永英明ちゃうねんで。

*

しかし、それにしてもきつねさんたちがそのような振る舞いを見せるのはなぜだろうか。

言葉は必ず「遅れる」性質をもつ。星は数万年の彼方にあり、言葉が星の光となり光が放たれてから数万年の時を経てはじめてこちらに届く。どんな言葉だってそうだ。

*

しかしここにひとつ大きな逆説がある。自分にとっては遅れてきた言葉であっても、それをいま新たに読む誰かには光になっているかも知れないということだ。

そしてその光を、生まれたての、新たな命に届けようとする意志を、私たちはたぶん、失ってはならない。遅れた言葉には、手垢がつくことがないから、新しい生命に届けるには恰好の形をしている。

*

私が「はる君がんばって」という鮮度の落ちやすい言葉を発する代わりに、彼が二十歳になったときのことを思い、夜な夜なキャバクラを開拓するのは、そのような理由があってのことである。んなわけあるか。

わいのくーちゃんは「やさしいきもちさん」なのである。わいではない。

ちなみに、以上のような筆法を私はあぐりさんの倅から教わった。わるいのはヨシユキであり私ではないのである。

*

(はる君、このあいだ、よよん君が請け負ってくれたから、きっと大丈夫。もうちょいやで。)

くーちゃん

じゅうたんの稜線の向こうから

ダンボールの丘をこえて

くーちゃんがやってきてくれる

 

初めて会った日もそうだった

ミルクボランティアさんの家で

あれは畳の海原を

小さくて元気な身体で

僕に向かって

僕の迎える両の手を

ふにゃふにゃと

柔らかくすりぬけて

越えていって

 

くーちゃんは僕が困ると

いつも

ふにゃあと

駆け寄ってきてくれる

そして幸せを置いて

また元の場所へと

 

僕の好きだった人は

みんなそうやって

僕を守ってくれた

 

くーちゃん

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BLの話(創作は諦めた)

創作は(後ほど述べる1点を除いては)俺は諦めた。俺の才能と現時点での努力の結晶は批評のほうにある。こんなになるのだったら若いころに福田恆存柄谷行人や絓秀実に凝るのではなかった。

  1. 商人倫理(速度、結果、最大利益)と文学(受身、遅延、反利益)の両立は俺の手に余る。俺はチームを守らなければならない。もともといまのチームに引き抜かれて地位を任されたときにこうなることは決まっていた。俺はそのつもりでよよん君の話を仕上げた。悔いはない。文学を自分なりに通過したことは間違っていなかったと思う。一身にして二生を経る(福澤「文明論之概略」)。経済内戦は続いているがだからこそ若い衆の暮らしを守らねばならぬ。いい思いを味あわせてやるのだ。
  2. よよん君の物語だけは俺は10年内にいま一度記すだろう。まだたどり着けていない山の頂が朧げに見える。よよん君はさらにそのずっと先にいるのかもしれないが。
  3. 俺は関内方面でどうやら不遇をかこっているらしい某ずったら節氏の才能を健全な批評と物資方面で支えるお手伝いをすることに決めた。申し訳ないが俺は氏の才能だけ物語作家としてはてな界隈で図抜けていると思う。否もちろんそれぞれのブロガーの方にそれぞれのすばらしさがある。それはそれで嘘じゃない。大いに尊敬している。都度スター付けてるぜ。だが小島信夫-森敦、正岡子規(俳句の師匠)-夏目漱石(弟子)、中上健次柄谷行人のごとく、生涯温め支えきれるのは1人しかいないし、作家がその生を全うするにはその1人がどうしても必要だ山際淳司に批評は要らない。ずったら師匠には文芸批評方面から支える人が必要なのだ。傲慢な言い方だが俺にはそれが出来る。「」というのはそのような意味だ。
  4. アウトプットは「某氏初期作品集」を編集し解題を記すことである。2020年を当面の目標としたい。エッセイ(どれも上手いから選定に困る)と、「わいせつ石こうの村」で構成される。いずれクラウドファンドを行うつもりだ。集めたものは基本的に全額氏に手渡し出版費用は俺が持つ。その費用捻出のために是非とも今から職権を最大限に濫用し業者との癒着を心がけたい。

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このような通りをせっせとずったらずったら歩いて行くらしい。

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このような場所柄であるらしい。

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駅を降り立ってみる。

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天岩戸か!

ストーカーじゃないぜw 先日「横濱ジャズプロムナード」に足を運んだときに「ふむー」となったのだ。そのときの写真だ。それにこのあたりは(特に本牧界隈)山際淳司作品の舞台として研究者なら実地に歩いておくべき場所柄なのである。勝手ながら実に不思議な機縁を感じた。

それにしても関内というのは都市と近郊、モダンとプレモダン、重層的で狂気を誘ういかがわしい街だった。これはやばい。作家の生息域を知ることは批評にはとりわけ重要である。

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ちなみに、湾の向こう船橋に俺がいる。必要ならいつでも呼んでくれ。

やっと、本を読むこと、物語を書くことを通じて見つけた友人だ。俺にはずっと、いなかった。まずは、生きていてくれれば、それでいいんだぜ。

goldhead.hatenablog.com

@cj3029412「圧倒的な文才、近年稀に見る物語作家です」(わいせつ石こうの村) - カクヨム

週末のちょっとした別れ話

父の事業が多少はうまくいっていたころ、私たち家族は祖父母を郊外の、私にとっては生家、実家に残し、町中で暮らしていたことがあります。

表向きの理由は子どもたち(つまり私たち兄弟)の通学に時間のかからぬように、勉学や部活動に専念できるようにというものでした。

私は金曜日の夜に生家に行ってお泊りするのが何より楽しかった。土曜、日曜ときれいな緑と水と草いきれを満喫する。じいさんばあさんと話をする。日曜の夕方に車に乗って町中の家に戻るときには当時10歳過ぎくらいでしたけれども、毎回涙ぐんでいました。

1982年から1986年くらいの話です。

それが、あるとき、生家に戻ることになりました。表向きの理由は「年寄りふたりだけで暮らしをさせるのは心配だから」というもの。先ほども表向き、と書きました。入婿として肩身が狭く、また、仕事に就きながらも、新左翼の革命や思想や思索のことを諦めきれない、その矛盾を、暮らしの柱となることで打開しようとしたのが、いったんは家を出てみた父の本音だったでしょう。

戻るときだって同じです。事業がうまくいかなくなった。単に其れだけです。マルクスを読み、団欒の会話に挫折だの柴田翔だの倉橋由美子だの上部構造下部構造だのを織り交ぜていた自分がそのことを判っていなかったはずはない。

だったらそう言えばいい。しかしそれができない。なぜか。

「人は言葉ではなくその行動によって評価される」

幾度となく垂れられた説教です。それだから、ばあさんを看取れなかった、病院の(知ってます? 介護段階が進むと、病床が上の階へ上の階へと上がっていくんです)8Fで寂しく息を引き取ったとき、多少はやましい、バツが悪いと感じたのでしょう、

「行った時には間に合わなかった」

と、慌てた様子でメールをしてきた、俺はすぐに電話をかけて怒鳴って東北線に乗り込んでタクシーに乗り継ぎ、玄関を開けるなり、ありとあらゆる罵り言葉を投げつけ、殴り合いをした。「結果がすべてだ」貴様の言葉だ恥を知れこの下郎恥知らず恥を知れ云々…他に言い様があるだろう云々…貴様の手口と思考回路は見えているよほどやましかったのか? 云々…

*

幼いころ、庭には俺の好きだった柏の木が生えててね。初夏になると、本家からもち米とあんときなこと粉ものと汁ものと一切合切を取り寄せて、ばあさんがこねて、俺ら男の子が餅をついて、大切にもぎったばかりの葉で包んで食べるんだ。

*

その木を、ばあさんが病院に入っている間、野郎、市道の拡張を理由に、黙って伐採しやがった。小銭が入り、なんだか知らねえが貿易の運転資金に回されたことを俺は知っている。その言い分が奮っていた。

「もう誰も面倒を見ない木だから」

どうして、いつも、後日談で後付けで、負けた側に立ちたがるんだ?

ちゃりーん。俺のちゃりーんがまた1回カウントされた。負けを予定しているから、負けるんじゃねえのか? お前が面倒を見るんじゃないのか。

「俺だって婿に入って苦労はしている。家の改修にだってけっこうな額を持ち出している」「だからここは俺の家だ」

ほかにもある。結婚する前、離婚した後それぞれに、

「お前らも、俺みたいに入れる家を早く見つければいい」

なるほど、やどかりさんだね君は! 戦略的やどかりフレンズだー! てめえナメてんじゃねえぞそりゃどっちかってえと地上げ屋っていうんだ。

そんな生存戦略をおとりになった父上、久しくアルツハイマーになった味というものはいかがですか。さぞかし旨いことでしょう。最後の会話は震災の前、貴君がおっしゃった、

「どうして俺の気持ちが分からないんだ」

でしたね。貴方はずーっと、新左翼の挫折体験だか何だか知らないが、誰かに判ってもらうことを、下の世代に垂れ流し求め、だから事務員さんからある時「(このお父様だと失礼ながらあしらい、付き合いが)大変ですね」としみじみと耳打ちをされたときに、俺はははあんと、なんだかすべてを了解したように思ったのさ。

同じアルツハイマーでも、ばあさん、ばあさんはひとことも愚痴を口にしなかったね。そればかりか、いつだってにこにこして、娘たち孫たちの電話に時を惜しまず耳を傾け、褥瘡のケアにもだまって目をつむり、

tanpopotanpopo.hatenablog.com

(ちょっとひと呼吸にタンポポさんの今回の記事(すごいなあ)を使わせて頂いた格好になっちまってすまないね。触発されて書いたのよw)

俺はばあさん、本当は、出来ることなら、最後まで、ご飯とおかずを一緒くたにスプーンで混ぜてこねて口に運ぶんじゃなくって、箸で三角食べ(で、いいのかな?)を、ぎりぎりまで、させてあげたかったんだ。ごめんな。俺は何ひとつしてやれなかった。

漱石木彫りの話

id:watto さんから、何というべきか、当方の仄めかしに対し、御用命の光栄に与ったので。

そんな、むつかしくないですw まさにそこです。たぶん。

参照テキストといくつかの補助線

そいで、夢十夜(1908/7月末~8月末)。私の個人主義(1914/11/25)。この順番大切ね。漱石の集大成に向かう第4コーナーから先という感じがする。

内容は、いうまでもなくどちらも非常に面白い。粗筋はいいやね。夢十夜の第6夜は一昔前だったら高校教科書に乗ってたでしょ。実は第6夜以外のほうが幻想譚としては面白いんだけど、文部省的にはだめなんでしょう。

私の個人主義も、これは落語のまくらですな。本題は坊っちゃんか、三四郎か、こころか知らんが、演目「漱石その生涯」てのが掛かったとして、やらなきゃいけない小咄だあね。

ちょっと脱線して、高校現代文は最低最悪の仕事だと思うんだけど、それでも中島敦山月記漱石夢十夜」および「こころ」は、これは社会人になっても胸に残りますわね。ここだけは教科書のいい仕事だといわざるを得ない。その証拠にツイートでも記事でも、わりかしよく見掛ける。特に「山月記」。みんなだいすき「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」。中島敦がこのような21世紀を想定していただろうか? 作家冥利に尽きる。いいなあ。やっぱり、この2人の呪術というのはすごい力を持っている証左。

話戻す。カッコ内はざっくり年齢。

いや、他にも時系列で見ようとしたときに触れるべきイベントはある。養父に金をせびられる、神経衰弱再発、とか。正岡子規を亡くすとかさ。でも、ここでの(少なくとも僕の今回の話にとっての)ポイントは2つで、

  • 「私の個人主義」は、かなりの集大成(の、感懐)なんだ。とはいえ、作家としての終焉はまだまだ予感していまい。その後に道草も明暗もあるし。ただ、山に登りきった鶴嘴を当てた、という感懐はあったろうね。
  • 夢十夜」は、前後の大物(猫坊っちゃん夢十夜三四郎こころ)の間の変化球というか、何か探っていたんだろうね。「私の個人主義」との対比でいえば、まだ、鶴嘴は当たってない

感動しながら引用する。

「私の個人主義」若い当時を振り返った部分(1890頃-齢23, 1896頃-齢26)

私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。(中略:しかし果たして)英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、(これでは)とうてい解るはずがありません。それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目の垣覗のぞきといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛がないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。

 

私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁にごして行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮にえ切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪らないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙すきがあったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。

 

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。

ね、いいでしょう? よかねえかw 俺らと一緒だよw (俺も漱石とは違うちょいと離れた研究室で高田万由子ちゃんを遠巻きに眺めながら煩悶したのよ。)

ちなみに言えば、こういうときの漱石の肩を抱くコツは、意味や解釈じゃないんだ。漱石青年の声を聞く、耳を傾けることにある。声が聞こえてこない? この人は真面目な人でねえ。俺の引用では(中略)で括っちゃったとこ(ぜひ別ウィンドウを開いて読んでみてねはーと)、長いから省いたんだけど、本郷にはそういうとこがあって、まあ、やむ無し、いくら東大ったって、お雇い外国人ディクソンたって、そりゃあ、青年期漱石の根源的な懐疑に答えて/応えてくれるわきゃないさ。

夢十夜を挟む。

自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。

そりゃあんた、夢だからさw

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家うちへ帰った。

これだね、坊っちゃん。これくらいそそっかしいから指ざっくりいっちゃうんだ。ここもやっぱり、意味にとらわれちゃいけない。明治の精神が埋まってるだとか、鎌倉の運慶の時代にはとか、そういうことは考えちゃいけない。考えないでいい。必要になったら漱石が勝手にしゃべってくれるから。

自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片かたっ端ぱしから彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

ここだね。

いや、別に大したことを言っていない説。

簡単な話で、

  • 漱石は英語教師か小説家であって木彫師ではない。仁王をにわかに彫れるわけがない。
  • 英語教師に向いてないことは若くから判ってる。運良く為り仰せた小説家としても、まだ、掘り当てた感じがしていない。「運慶にゃ彫れるだろう。俺にはまだ掘り当てられないさ」「そりゃそうだ運慶さんよくぞ鎌倉から今まで生きて俺んちの夢に出てきてくれた」
  • こんときは漱石、まだ、こころ、書けてないからね。
  • 明治の木に伝統が云々とか、主体(彫り手)と客体(木/彫り上がってくるもの)とか、国語教師のやりたそうな解釈は、罠ですぜ旦那。おらっちには判る。俺も自分の物語でさんざっぱら罠を仕掛けたから。
  • 運慶は努力と才能によって掘り出せるんだ。だから今日明治の御代まで生きて(彫り様を見せて駄賃を得ておまんまにありつけてい)るのさ。

んなこたあない深い話さ説。

山登って、俺あ今回判ったんだ。

判らしてくれた人が2人いて、1人は id:LeChatduSamedi さん。俺が例の話を書き上げたときに「まさかこの世から消えるつもりではないですよね」と言い当ててくれた。

今ひとりは id:mikimiyamiki さん。「私も山に登った1人としてその大変さがわかります」とおっしゃってくれた。

夢十夜」のときは、漱石はまだ登りきった、鶴嘴を当てた感触を得ていない。予感だけだ。それが、三四郎/こころを経た後の「私の個人主義」では、

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 

自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。

 (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) 

西洋とか、いいんだよ考えないで。ここで漱石がいってる西洋てのはひっくるめて自分も留学したえげれす人を含む主語でかい系であって、そこが主眼じゃないんだ。

その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘ほり当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。

運慶(夢十夜)んときは、まだ予感でしかなかった。どこかで「これだ!」というのが、来た。知ってる人は知ってると思うが、漱石てのは極めて正直な人で、それは単に思ったことをそのまま云う垂れ流すてんじゃない、自分が感じたこと思ったことと、表現との間に出来るだけ漏れやギャップをなくそうという誠実さの人なんだ。だから、こんときそう表現してるってことは、そうなんだよ。

まとめると、

まとめ? 野暮だからやーめたw 漱石をまとめるとか、どないすんねんw

ま、旦那、どうです?(タイゾー風に)一作(これはid:watto さんに言上してるのではないですら)、とことん根詰めて、100枚くらい書いてみるってのは。俺だって、俺ですら、身の丈にあった底付き、底抜け感というのがあった。

対象や、鶴嘴の当たり方が何であるかはそりゃ人によるさ。そんなの俺あ知らん。

しかしだね、何か見えるものはある。生を放擲しないでよかった(id:LeChatduSamedi さん ありがとうな。先日は悪かった)。id:mikimiyamiki さん、あの日最初に第一声で「(思った以上に)よかった」って褒めてくれなかったら俺は諦めてた。例の黄金町のむつかしい旦那(id:goldhead さん! ビール届いた―!?)もそうだと思うんだけど、俺らはそれだってやっぱり山に登るんす。

*

まとまってねえじゃねえかw

そうだ。こういうときは、わいせつ石膏の村に旅して頭を冷やすべきだった。

追記

以上の延長上に、これがある。なんだそりゃw

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f:id:cj3029412:20171112090200j:plain俺は何か掘り当てた気がする。よよん君にも、血液グループ先生にも、出資くださったみなさんにも、申し訳ないので、生きようとしか思いようがないのでござる。

増田も、元増田も、ありがとう! 骨髄移植/および勝手返信拝謝の件 部外者だけれど

私、持て余した情熱が抜き差しならない経緯に転じて、何人かの白血病患者と医療従事者の方に取材を行いました(2003-2017)。

アウトプットが、これです。集(たか)っちゃったよ10万円も…

宣伝じゃあないです。紹介。自己紹介。しぬ。

*

でね、やっぱり、取材者の欲として、ドナーと患者さんの交流というのは、聞いてみたい話題です。うーん、でも禁欲した。部分的に、聞けた話もある。けれど、書かなかった。その理由は、

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

増田さんと、元増田さんが記していらっしゃる通り。加えて、部外者が立ち入ることは出来ないよ。

*

それでも、取材に応じて下さった複数の方がおっしゃっていたのは、「第2の誕生」(ルソー/ボーヴォワールいずれとも違う意味で)ということです。これはもう印象に残っている。

  • 文字通り、命をもらった。
  • 生まれ変わったというより、生まれてきた。
  • 私は私であって私でないかも。変な感じ。
  • 骨髄移植を受けて生き延びた人でないと、分からない感覚だと思う。

など(取材メモより)。手紙でのやり取りは、ドナーへの気持ちも込めて(認シタタめて)、でもルールだから主治医とだけ、いまでも行っています、という方がちらほら、いらっしゃいました。

*

6章部分、アップするね。出資くださった皆様、お許しを。

(実は、誤字が残っていて「折る」が「祈る」になったままなんだ。通しちゃった…エラー切手だエラー切手。本形態をお持ちの方には朗報で、100年したら価値が出るかもしれんw)

*

それで、僕の書いたこのお世辞にも上手いとはいえない一節を、ぜひ読んでくださいというつもりはない。何度も何度も何度も何度もしゃべっていることなんだけれど、かつて、2002年当時、2ちゃんねるの医療板の最深最底部に、ひとりの白血病を患った男の子がやってきた。そしてそこに、心を病んだ血液内科医が偶然に居合わせた。

それを目撃した全俺が泣いたわけだ。

おい、マスコミのみなさん、全国の村田マリWELQのみなさん、見ていますか! ひゃっほう!

かつて、15年前には、あったんだよ。これが。いまでもあるんだ。感動秘話が、じゃないよ。例えばごく身近なところで、俺の大学時代の大切な先輩の1人が今年春夏に似た病気にかかって、命を授かって、戻ってきた。5年生存率との諸々の見極めがまさに始まったところ。

*

俺の物語なんて読んでくれないでいい。俺は俺のためにこの物語を書いた。よよん君に報告をする。俺の数少ない人類史への貢献だ。お前らドナー登録行けと言わないで俺が行く(もうずいぶん前に行っちゃったよ…とほほ)。その間に村田マリとその残党はウェブの掃除をしとけw (´;ω;`)

*

ほいでもって以下は説教じゃない。同時代的思想の交換を申し出てみたい。

*

こんなものが再生産されてはならないということを理解している。そして、死後脳の検体でほんのわずかに世の役に立とう。そのくらいしかできることはない。

ゴミみたいな人間が読んでも胸糞悪いだけ 田中圭一『うつヌケ』 - 関内関外日記

ここに行き着くよねえ。ちなみに俺は灰を撒いてそこにマタタビの木を植えてほしい派。でもね。

よよん君の主治医をなさっていた先生がこんなことをおっしゃっていた。

物語は、もともと何もなかったゼロのところから、1や10や100やそれ以上、その広がりを生むことが出来る。僕たち血液内科医の仕事は、それに比べたら、もともと100あった造血機能をせいぜい60か70に戻すことでしょう。ものを書ける人を心底うらやましいと思います。

(取材メモから)

(違うんです、そんなにいいものじゃないんです)と、いいかけて俺(31)は、飲み込んだ。いま(44)でも、半信半疑でござるよ。そりゃもう。

*

いかが?

ま、とはいえ、深遠なお題。明日12日(日)午前に関内関外にビールが届く段取りにしてあるから、諸々のことはそれ飲んでからにしてー。

*

あ、増田、元増田、ほんとにありがとうね。よよん君の次の墓参りのときに報告してくる!

忘年会のことなど

今週のお題「芸術の秋」

まったくその通りで。

goldhead.hatenablog.com

おれみたいにこれといった仕事のスキルも、なんらかの才能も、やる気も、頼りになる家族もない、単にキモくて金のないおっさんからしたら、まったく参考にもなんにもならない。仕事を休め? 給料も出ない零細企業勤めにそんなこと無理だ。日銭を稼いでなんとか食ってるんだ。本当だったら精神科医に通う金、薬の金だってどうにかならんか思うてるんだ。

「思うてるんだ」。地声? 地声ですか!?w

文章全体、どこからも声が聞こえてくるような気がするんだけど(いつも通り)、この「思うてるんだ」みたいな、用字用語からほんのわずかに外れたところにある表現にくすぐられてくすっとなってみたりして。関内ずったら先生のエッセイには、どこかしら毎回1箇所2箇所この手のくすっていうのがあるように思います。意図せざることなのかしら。

*

ご本人が答えに手をかけているのだけれども、

しかしまあ、冒頭で著者が「ただひとりでもいい」と述べているのは誠実だ。

田中圭一さんの本書で田中さんがこのフレーズを置いた趣旨とは違った意味で、読み手の「ただひとり」に対し、関外ずったら先生の嘆きがときに響き、ときに救いになることを、僕たち私たちは知っている。そして、もう一歩、恥知らずにも踏み込めば、黄金頭氏の誠実さは、「ただひとりでもいい」などという陳腐を述べることを自らに戒めるのでしょう。また、それほどに、病は苦しい。僕自身の、16歳に端を発し、ほどなく30年になりなんとする破瓜の個人史に照らしても、「俺のこの生が誰かの役に立つとは到底思えない」と日々諦観するほかにない。

*

けれど、生き延びて、書いてほしいのです。物心ついて40年、3万冊を上回る本を読んできたので、おじさんはさすがによしあしは判る。というか、みんなのほうがよく知っていることと思う。何が?

*

黄金頭さんは文章が上手い。(主語に悩む日本語の私)

*

病のことと文章のことの、因果関係は知らない。そこには立ち入れない。前にも書いたけれども、ただ事実として、

dk4130523.hatenablog.com

上手いんだよ。とにかく、上手いんだ。奇跡的な瞬間が、ほぼほぼ(気持ちのわるい副詞)どの章(話)にも、ある。例えば、

ようやくあの村に住んでいたという古老と会う約束を取り付けた。明日から二泊三日の旅に出る。その前に、あの村についていくつかわかったことを書き留めておこう。

kakuyomu.jp

おおーって思うんだ。おおー。そうだったのか。旅に出る前の覚書、覚え語りだったのかー。何か、新しい地平に向かうことを、作家も、語り手も、ここで予感を手にしかけているように感じられる。

もちろん、ここで氏が用いていることは、物語作法上の目新しさという点ではさほどのものではなく、平たく昨今の言葉でいってしまえば叙述トリック的なものに類別して、それでおしまいにすることも可能だ。しかし、同じ手法を使っても、書き手や作品によって感動の質は違う(当たり前のことをいまついうっかり書いてしまった気がするw)。

それを、私たちは畏敬を込めて「努力と才能としか呼びようのないもの」「とにかく上手い」などと、借り物の言葉で形容してしまう。我々の感動を梱包するには、形容詞も副詞も尺が足りないんだ。

*

でも、だからこそ、優れた書き手、書物に対しては、「前には尺に収まりきれなかったあの部分」を、今度こそうまく包み込もう、あるいは風を当てようとして、読者は何度でも立ち戻ってくる。呼び寄せられる。

*

これもまた例えば、鉛というお題でこれだけのものが流暢に(そう見せて)書ける人が東京湾を挟んだ向こう側に、いま同時代に息をしているという事実。

goldhead.hatenablog.com

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かつて、漱石は3代目小さん、あるいは大圓朝と同じ時代に生きている喜び、旨さを記した。

小さん

「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多にでるものじゃない。(略)彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」(『三四郎』)

圓朝

「その工(たくみ)が不自然でない」「余程巧みで、それで自然」(『水まくら』)

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ここは解釈が微妙さを残すところで、一見、三四郎小さん>水まくら圓朝、という図式にも見える。しかし、例の夢十夜の運慶快慶を引くまでもなく、漱石にとって「工・巧と自然」という枠組みは、自分の生涯の課題そのものだったわけで。圓朝においてはその対立図式が融和していると暗に言っていて(なんという下手くそな言葉遣いだ俺はw)、漱石のシンパシーは圓朝のほうに多めではないかと思うのねん。

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「わいせつ・石こう・村」

図らずしも、匠(たくみ)と自然(女・村)なんだ。石膏職人は、云はば、漱石夢十夜で描く木彫り職人よね。てなわけで、

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黄金頭先生

育みし海辺の町の半世紀/只人ならぬ砂跡その匂ひ

(解題:物語と人となりを育んだ海辺の町の半世紀を思う。旅に出た足跡のついた砂から、いい匂いがする。やはり只の御人ではないッ)

船橋海神拝

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辛くて切ないだろうけれど、生きといてくれよ(談志か俺はw)。

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んで、忘年会やります。

  • 2017年12月30日(土)
  • 都内西の方
  • 焼肉
  • 場にメンヘラ部長から、宴会助成金3万円なり5万円なり、まあ。参加者各位の負担を少しでも減らすことができれば。交通費も時間拘束も生じるしね
  • 鳥ワールドとかで適当に見かけて、声かけてください
  • お題「id:netcraft3 にオフパコをさせない会」

関内先生、お見えにならないかなあ。