illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

椿本涅子さんの卒論提出を祝う歌

出版をお祝いし、書籍を求めて感想をツイートをしたところ、お礼をいただいていたんです。僕のツイートは椿本さん (id:tsubakimoto_neko)  の記事でも引用していただいているから、ここではわざわざリンクするまでもございませんな。

www.tsubakimoto-neko.com

知ってる?アイツの名前: 最近何だか気になるの

知ってる?アイツの名前: 最近何だか気になるの

 

本、面白くて、お礼もとても素敵で、いつか何かの形でメッセージをと思っていました。

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*

歌を詠んでみた。

つらつらと椿のもとの物尽くし。ひとり猫のみ花弁に鼻寄せ

品詞分解する。自註だけどおめでたいことだからいいのです。

  • つらつらと:副詞。もちろん、「巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を」を踏まえる。本歌取りである。
  • 椿:名詞。椿の字は国字。
  • の:格助詞
  • もと:名詞。椿本さんの「もと」に掛ける。
  • の:格助詞
  • 物あるいは物尽くし:名詞。古来、日本には物尽くしの伝統があって、枕草子「春は」「山は」云々と、主題を立ててそれはねとやる形式のこと。椿本さんの御本は、この物尽くしの趣きがある。
  • ひとり:副詞。「のみ」と呼応する。1人というよりは「ただ」くらいの意味。ですがここでは「ほか(人)はさておき、ねこは」の強意で使いました。
  • 猫:名詞。涅子さんに掛ける。
  • のみ:限定/強意の副助詞。
  • 花弁:名詞。文字数の都合で「かべん」と読んでください。
  • に:格助詞
  • 鼻寄せ:サ行下2段活用動詞「鼻寄せ」連用形語幹。「て」の省略で余韻を残す。

*

訳は次の通り。自註だけどおめでたいことだからいいのです(繰り返した)。

万葉にある「巨勢山のつらつら椿」ではないけれど、椿本さんの手元足元御本には、物尽くしのおもしろい話が連ら連らと、たくさん詰まっています。でも、ねこちゃんは(人とは違って)お話よりも椿の花びらに興味津々、鼻をくんくんさせているみたい。

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卒論提出、おめでとうございました。

そして改めまして、出版おめでとうございます。

(落款が付してある。何者ぞ…)

追伸:結句は「ひとり猫のみひらにはな寄せ」も、あったかな。「ひらに」:平伏して。はなびらの「ひら」に掛ける。「はな」:花と鼻を掛ける。

つらつらと椿のもとの物尽くし。ひとり猫のみひらにはな寄せ

ちょっと謎掛けが多い気がして、「花弁に鼻寄せ」を選んだのだけど、「ひらにはな寄せ」のほうがかわいかったね。こういうとこ、まだまだなあ^^;

というわけで、追って「ひらにはな寄せ」版のほうもお届けします。見比べてみてくだされば、幸甚にございます。

ことだま/ことのはの件

例年、暑い盛りになると、トンデモ学説的なものを見たり聞いたりします。

教師「暑いとむやみにいうな。涼しいといいなさい」

僕「どうしてですか」

教「言葉にはことだまというものがある」

僕「で」(※僕はここですでにいらいらしている^^;)

教「でじゃない! xx(おれ)君は後で職員室に来るように。それはさておき、みんなが暑い暑いいうから涼しくならないのだ。日本に涼しいという総量が上回れば涼しくなる」

僕「うそつき。超うそつき」

ブログ記事や、ツイートでも、ちらほら。

これただの嘘ならまだいい。まず「心頭滅却すれば火もまた涼し」の誤解釈であること、次に、誤解釈に基づく悪しき精神主義に地続きだから、困ります。

ただ、僕はオピニオン記事が嫌いなので、そういうの(正面切っての批判)を書くつもりはありません。

それで、心頭滅却云々に関しては、手っ取り早い以下を参照して、「なるほど、なんか違うな」くらいに思ってくだされば十分です。

zidori.xyz

今日の本題に入ります。日本語の古い形では「ことだま」「ことのは」は、どのような関係/構造をとっていると見るのがよさそうか。

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だいたい、こんな具合になっています。もちろん、もっと、未分化だろうけど。

マル囲み1-4の象限は、数学の象限とは異なります。この模式図限りの便宜的なものと思ってください。念のため、いつもの大野晋先生の岩波古語辞典を引いておくと、

  • (P.516)ことたま(略)人間にタマ(霊力)があるように、言葉にもタマがあって、物事の実現を左右すると未開社会では強く信じられている。そこでは言葉とコトとの区別が薄く、コト(言)すなわちコト(事)である。言葉はそのまま事実と信じられている。(略)
  • (P.517)ことは(略)《語源はコト(言)ハ(端)》。言(コト)のすべてではなく、ほんの端(はし)にすぎないもの。つまり口先だけの表現の意が古い用法。(略)

と記してあります。図は、これと、いくつか覚えている万葉や古事記の用例と照らし合わせて、まず間違いのないところで象限を切りました。

暑いときは何が起きているか

  • マル1:暑いの神様が超お怒りになっている。
  • マル3:気温が上昇する。
  • マル4:人の口に思わず「暑い」が漏れる。

暑いときにことのは「涼しい」を合唱するとどうなるか

  • マル4:「涼しい」「涼しい」「涼しい」(以下略)
  • マル3:(しーん)暑いまま
  • マル2:(しーん)
  • マル1:暑いの神様は超お怒りのまま。

言の端/葉は、結果に過ぎません。いうなれば、火事の現場で「水」「水」と連呼するだけで火を消そうとするようなものです。

ではどうしたら涼しくなる可能性があるか

原理的には、2つです。

  • 生贄を捧げる
  • 神官を通じてお呪(まじな)いをする

神事には貢物が伴い、生贄が含まれるのですが、便宜的に分けておきましょう。

お祓いをする神主のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

生贄の例(ただし間違い)

  • 松岡修造を国外追放する

最近とみに知られた秘法ですよね。かなりいい線行っている。でもこれ間違いの可能性がある。

なぜ松岡修造国外追放は誤りなのか

西暦400年頃の2冊の歴史書(A)/有職故実(B)があったとします。

  • 歴史書(A):386年夏に大旱(大日照り)があった。民は大いに苦しんだ。
  • 有職故実(B):386年夏に帝は松岡修造を東晋に遣わした。xxxyyyzzz(破れて読めない)。
  • 再び歴史書(A):386年秋は穏やかな気候を取り戻した。一部で不作があったが民は持ちこたえた。

西暦700年頃に帝に取り入り政権奪取を目論むPさんがいたとします。この年(700年)夏は猛暑。さて、Pさんは歴史書(A)と有職故実(B)が読める。一か八か、帝に次のように提言するでしょう。

Pさん「帝、暑さを鎮めるために、松岡修造の血筋の者をペルシアに派遣してはいかがでしょうか。有職故実にこれこれがあります」

実は、破れて読めないxxxyyyzzzの部分こそ、暑さを鎮める秘法が記してあった。かつ、386年秋の穏やかな気候を取り戻したことと、386年夏の松岡修造の東晋派遣には、(近代科学はもとより古代の世界観でも)因果関係はない。のですが、それでもPさんは帝の手前何かをしなければならない。その苦肉の策(にすぎない)というわけ。

気をつけないと、けっこう、こういうのがあります(史料批判の必要性)。

テニスのコーチのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

ではお呪いはどうすればいいのか

分かりません。

ただ、上の松岡修造東晋派遣のように、後世の陰陽師たちは、史書の伝える天候や儀礼など(有職故実)を丹念に調べ上げ、そこに何か「目下の災厄を祓い清める何かの照応関係」のようなものを見出そうとした。そしてそれを、門外不出の口伝として、代々伝えたとか、伝えなかったとか。これが、おそらくマル2に効くのでしょう。

*

以上は、少々の与太話を含みますが、次のことだけはどうかお忘れにならないでください。

  • 言の葉は、人の口から、「たま」の結果が「は」として、ふと漏れる/漏れたものに過ぎない。
  • 言の葉に、言の葉で対抗しようとしても、少なくとも素人には無理でしょう。何の効力もない。そればかりか、悪影響すら及ぼしかねない。ついでにいえば、好きな人にただ好きだと伝えるだけで両思いになるわけがないでしょう。なったら苦労しないんだ!(なぜか個人的なたぎる思いが…)。

人には言の葉が降りてくるのを待つことしかできない

図を再掲します。

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リンクを貼ります。

tanpopotanpopo.hatenablog.com

実は、今回の記事は、うんちくを傾けるのが目的ではなく、id:tanpopotanpopo さんのお気持ちが、なんというか、痛いほどわかる(気がする)。そのときに、

コトノハの神様は、まだ近くにきっといるはず。

それは、書くことをやめてしまわない限り、目には見えないけれど、側にいるのだ。

短歌も頑張ろう。また詠もう。

(一部、僕はたんぽぽさんの歌は決して謙遜なさるようなものでないと思うので、引用時に僕が削除しました)

万葉の御代から、人の営みは変わらないんだなあって。何とか、マル3の「現象の端切れ」あるいはマル2の「言の本質的な部分」に、マル4の言の葉のところでじっと耐えて、アプローチするしかないんだなあ、そうだよなあって。マル4からマル1、2、3は遠いけど、そばにいると信じ、願う生き物だよねって。

そんなことを、思いました。

*

(あれじゃない? 「運動瞑想野菜三百五十喝!」とかのおまじないと実践が、意外に(マル1には届かないにしても)マル2やマル3を揺り動かすのに、効き目があるのでは?)

*

以上、いつもながらのお粗末様でございました。

岩波 古語辞典 補訂版

岩波 古語辞典 補訂版

 

 

Zeeちゃんのこと

いくつか、宿題(書きたいこと、書かねばならないこと)があるんですが、ちょっと一息つく感じで今回はZeeちゃんのこと。

twitter.com

I am a cat who was diagnosed with Chronic Kidney Disease in 2014. I've had a blood transfusion, stem cell therapy, and acupuncture. I'm feeling great!

Twitterの自己紹介です。ここだけ訳します。理由は後述。

2014年に慢性腎疾患の診断を受けたねこです。これまでに輸血、幹細胞治療、針の治療を受けてきました。いまはすっかりいい気分ですにゃー。

とてもかわいいんです。女の子。それから、Zeeちゃんの話す英語がかわいくてかわいくて。Meow Meowもそうですが、エリザベスカラーを交信機に準(なぞら)えてみたり、とてもウィットに富んでいます。

英語の腕試しをしようという方は、次のFundraiserの記事を読んでみてください。

非常にその、アカデミックな内容を含むのだけれど平易。Muntさん大学の先生だったかな、確か。

www.gofundme.com

オレゴン州にお住まいのSteve Munt(スティーブ・ミュント)さん。それから主治医のいらっしゃる動物病院が、

twitter.com

ところで、Muntさんは先日お母様を89歳で亡くされました。

リリカルで、悲しい中にも抑制と読者(フォロワー)への思いやりに満ちたツイートでした。いまはちょっと見当たらないのだけれど、「いま、新しい星がひとつ生まれました」ってツイートされました。

*

と、まあ他にも様々にあり、これだけ胸を打たれると、Fundraiserの記事を日本のみなさんに紹介したい、そのために翻訳(英和)させていただけませんか、ってお願いしたくなるでしょう?

しました。

しかし、Muntさんはいままさに、Zeeちゃとのことで書籍化、執筆を進めているとのことで、著作権の問題が発生するから、申し訳ないけれど辞退したいとのことでした。代わりに、オレゴン州に来るときにはきっと声をかけてほしい、と仰ってくださった。僕も、もし日本にお見えになる際には出来るだけの力になりますとお返事申し上げた。

*

僕も、Fundraiserのサイトから3,000円ほど募金を行いました。

それが、いいことなのかどうか分からない。きっと、いいことなのだろうと思う。しかしそれを、他の方に勧めることはできません。

*

代わりに、Muntさんがどういったコミュニケーションをお取りになる方か、なーんだと思われるかも知れないのだけれど、僕とのやり取りをお見せして、この短い記事の締めにしたいと思います。

僕は、誇張でも何でもなく、この"true friends"と呟いてそれに8人の方からハートをもらったときに、英語圏の方に自分の英語が生まれて初めて通じたと、心から思いました。

Zeeちゃんのこと、どうぞ、よろしくお願いいたします。

*

追伸:命に別状はないと思うのだけれど、いまZeeちゃん、治療後のちょっと我慢の必要な時期にあります(ツイートをご覧くだされば一目瞭然と思います)。それで、急ぎこの記事を書いてリリースすることにしました。

2007 久留米医英語(部分)再受験生氏対応

再受験生氏と打ち込もうとしたら再受験生蛆になった。これが筆誅というものである。

オンラインで出典が見当たらないので手打ちする(手打ちくらいはまあしちゃる。その時間に古語覚えるのならw)。

There are several ways of dealing with a book of jokes. One can, for instance, read it from beginning to end at a single sitting or perhaps at two, swallowing the contents in large gulps, like a pint of beer. This is often the reviewer's way, particularly if he is in a hurry. It is the wrong way. It leads to depression and irritability. Then there is the consumer's way - the business man's, the politician's, the music-hall artist's: strictly utilitarian.

The reader is on the lookout for a new funny story, less for the sake of enjoyment than in order to enliven a speech, crush an opponent, suggest, a gag, etc. (下線部A)そのような人にとっては小咄集も便覧のようなもので、折にふれてみては材料を探す本なのである。 下線部(B)He will carefully select two or three jokes suitable for the occasion he has in mind and work them in, ignoring the rest till some other occasion. This is vastly superior to the first, and may, in fact, be the right way.

出題は、下線部(A)英訳と、下線部(B)和訳。

まず下線部(B)の和訳に手を付けるのがよろしかろう。

  • そのような人は、ジョーク(小咄)が役に立ちそうな状況があらかじめ頭の中にあり、それに適したものを2つ3つ慎重に選び出そうとするものだ。そしてそれ以外のジョークはまた別の状況が来る(に呼ばれる)まで(ずっと)放ったらかしにされる。

伊藤和夫的補注を記す。

  • そのような人:前の文、下線部(A)で「そのような人」とある。これを、Heを「彼」と訳すなよ(!)というサインだと受け取り、受け取ったことをきちんと訳文で表明する。採点官は「よしよし」と思うだろう。
  • あらかじめ想定された:he has in mind. haveは動詞の性質がもともと継続相なので「あらかじめ」くらいは文脈依存でやってよい。
  • 役に立ちそうな:work them in. themはjokes. workは機能する、働く、役に立つ。ここでは珍しい他動詞だが、自動詞で訳すのが自然。inはin the occasionのthe occasionが省略。
  • 別の機会が来るまで:till. tillは極めて重要。tillは極めて重要。tillは極めて重要。byとの識別、訳し分けはいまからでも必須。byとの識別、訳し分けはいまからでも必須。byとの識別、訳し分けはいまからでも必須。[大切なことは3回繰り返す]
  • すなわち、tillは「マデズット」。byは「(オソクトモ)マデニハ」
  • [用例1]He needs to pass the entrance exam by 2019 at the latest. どんなに遅くとも野郎は2019年までには入試に受かる必要がある。
  • [用例2],whereas she says that she will wait for him till he passes (does). ところが彼女は野郎が受かるまで(いつまでだって)待ってくれると仰っている(オドロイタネ)。
  • 鬼畜。まさに鬼畜。腐れ外道。
  • 放ったらかし:ignoreの一般的語感は無視ではあるが、ここは「放置プレイ」が相応しいだろうね。目も呉れない、なんてのも渋い。
  • 1文言い切りが難しければ、ロジックの通る限りにおいて、今回のように2文に分割しても構わない。いわゆる分詞構文後置。

次に、下線部(A)の英訳。

  • To such readers, a book of jokes seems like a handbook (reference) that they would search for ingredients in occasionally.
  • ああ恥ずかしい。やばいやばい。でもまあ日本人の書く英語としてはこれで合格点だろう(笑)。
  • ForでなくてTo:S seemns A to me. Sは僕にとってAに見える。seemを使うときはtoです。
  • 便覧:handbookが出るといいが、受験生は硬い単語を頭に叩き込まれるだろうから、referenceが出てくればよしとする。
  • would:婉曲。(まあもし探すとすれば)くらいの含み。willでもよかろう。
  • search for:まさに書物の中から自分の状況にあったジョークを(目を皿にして)(頁をめくりめくりし)覗き込んで探す感じ。「検索する」
  • ingredients:材料。まあ思い浮かばないだろうし綴りもミスりがちだから、materials, cluesくらいまで、本番では押し込んでしまえ。materialsのがいいかな。俺は採点官に向けた嫌味ったらしいアピールでingredientsを投入するタイプ。
  • inは、in (the book)のthe book省略。こういうの、関係代名詞の綾でなかなか微妙なところなんだが、とりあえずなんとなく感じ取ってくれ。
  • occasionallyは、ダサいけど「折に触れて」のもっとも間違いの少ない訳語。as needed(必要に応じ随時)くらいまで許容されるかな。

今回、こちらからは以上です。下線部以外のところも、同じ具合に、訳してみ? 力付くから。

はてな題詠「短歌の目」2017年8月 応募します

初めての応募です。

*

「波」
波打ち際 二本の指の棹に蟹 水かき噛まれた 辛き流れぞ

波打ち際 二本の指の棹に蟹 水かき噛まれた 涙こぼれて[8/16訂]

「囃」
てんてんつ ててん師匠の出囃子を 口ずさみ探る 夏の木戸銭

「フラット」
あといくつフラットすれば僕の笛 君の音色と響き重なる

「西瓜」
すいか瓜 き瓜 なんきん瓜 野のまくわ瓜 にが瓜 君のことを

「こめかみ」
こめかみの不思議な動きに指をとられ顳顬の字が覚えられない

「怪談短歌」
帰宅、戸を開け部屋の「あれ?」小奇麗に、窓辺の母の遺影が睨む

*

以上です。よろしくお願いします。

tankanome.hateblo.jp

Just because to be close to you.

カーペンターズ Close to you に、

Why do stars fall down from the sky
Every time you walk by?
Just like me, they long to be
Close to you

が、あります。訳しますね。

あなたが通りかかるとき、

どうしてお星様は空から降ってくるのかしら。

そのわけは私と同じね。お星様だって、

あなたのそばにいたいのよね。

www.youtube.com

shougomama.hatenablog.jp

もうすぐ、盆の入りです。

「月命日でした」から始まり、七夕と、彼女さんと、お母様の思いと、

亡き人との約束や夢を、残された人が叶えてあげられたら、これ程嬉しいことはないのかな。

この結び。

私にはよくない癖があって、このような静かな叙情、追憶(それはすなわち、大昔から、人が何かを願うときのもっとも基本的な形式の1つだと僕は思います)にふれると、つい、自分の道具箱を開いてお見せしたくなってしまうところがあります。どうぞ、お許しください。

*

2001年4月に母を亡くしました。当時52歳。僕は27、いえ、28です。

dk4130523.hatenablog.com

母と子、どちらからものを見るかという立場は異なりますが、僕も、id:ShougoMama さんと、ひょっとしてどこか似たことを、ずっと、思い、考えてきたのかも知れません。

星になるのは、そばにいたいから。

この記事につけたタイトルの Just because to be close to you.には、それくらいの意味を込めたつもりです。

なすとキュウリの精霊馬のイラスト(お盆) | かわいいフリー素材集 いらすとや

この形なら、大丈夫、お星様も乗れそうです。カーペンターズに負けじ、私たち日本の国も、昔からよくできていたようです。

まだ、道具箱には、いくつか話があるので、よろしければ、四季の折々に触れて。

今回、僕からは、以上です。

ぼくちゃん貢ぐ君!

これまでトマトジュースやら何やら健康志向品が多かったので、今回その点を反省してみました(笑)。なんたる我がおしつけがましさよ。たまには、ぱーっとね。

goldhead.hatenablog.com

そうしたところ、ありがたくも約1,200字を書いて下さった。おもしろい。のりにのっていらっしゃるw

1,200字といふのは、断って措きますが、上のカープびいき記事のことです。

以下は、もっともっともーっと手が込んでいる。

kakuyomu.jp

すばらしい。何時幾度(いついくど)読み返してみても何かしらの発見がございます。

圧倒的叙情、淡い立体感、いつのまにか増えている続編、そして、わいせつ石こうの村を想像力の中で持ちこたえるのは、これはおそらく、かなりしんどい作業でしょうね。

*

私も今回ある物語を書き終えて、つくづくその「しんどさ」「楽しさ」を味わうことができました。実は、書く支えになった(リファレンス)の1つが、「わいせつ石こうの村」でした。ありがとうございました。この御恩、屹度忘れません。

そして、僕は、到底、及ばない。そのことを改めて悟りました。いつも読んでそうするように、感嘆して、口をあんぐりして、それから、黄金頭さんの、どうやら不遇らしい生に思いを馳せてみました。

(リンクは貼りません。)

*

例えば、このようなときに、創作に対して、批評が立ち上る、僕の側からいえば、(もちろん、いい意味でのですよ。先日、批評と批判がうんたらだとか一部で話題になっていたようですが、答えは昔っからある程度決まってます。創作者自身や批評家のその作品の「生」を更新するのが批評です。これはかなり有力な説だ。射程は文芸批評だけぢやないぜ。例えば、柄谷行人を読むといい。その)批評家の資質なんだなあ俺はと、しかしここはひとつ創作者の生を更新するお手伝いをしようと、わいせつ石こうの村がもう一話生まれるかもしれないぞと目論んだんですね。ふっふっふ。

*

ちなみに、すぐれた批評家、編集者はこうやって創作者をうまいことだまくらかそうとする生き物なので、お気をつけくださいまし。

黄金頭さんは、そのままで。どうか安心なさって。私はそこまで悪(ワル)じゃない(笑)。

お供え物のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

「恵み」というのは、古来、天が地人に対する方向性で用いるのが筋です。

恵みの雨。MEGMILK

「お」は、その動作主体、恵むを行うSubjectへの敬意です。恵む実体行為は、上から下のベクトルだから下から見れば「下さい」「下さる」が自然な対になります。

しかし創作者は本来「天」の側です。そのことをご自覚ない、或いはご自覚なさ使(し)めているもうじき四半世紀に及ばんとする社会状況、ひょっとしたら、先生の生き難さは、そこにもあるのかしら。

*

「恵む」の動作対が、貢ぐ、でしょう。語源は、まだ大野晋を読み切っていないので、そのうち。しかし、私はいくらでも貢ぎますぜ。ぐへへへ(真似をしてみた)。だめでせう? これが批評家の口真似のいけないところ。

*

ご自愛なさって、長生きしてくださいね。人は天に貢物をするときには、神官を通じて行うのが礼法です。神官も、巫女さんも、きっと、黄金頭さんの周りには、たくさん居(をは)す筈です。荒ぶる天よ文学よ、どうか分かりやすい兆しを、できるだけ、その、ちょっと、「ああ俺はもうだめかもしれない」ってうーんと手前で、どうかお願いしますw

 

(古え、神祇官は天気予報官でもありました。)

(あれ? そういや俺、なんでこんなタイトル付けたんだっけ?w)

 

2017年8月吉日

船橋海神 拝

 

追伸:来年はタイガース優勝の番です。流石にまだ、カープかな? また、忘れたころにお便りします。