illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

Just because to be close to you.

カーペンターズ Close to you に、

Why do stars fall down from the sky
Every time you walk by?
Just like me, they long to be
Close to you

が、あります。訳しますね。

あなたが通りかかるとき、

どうしてお星様は空から降ってくるのかしら。

そのわけは私と同じね。お星様だって、

あなたのそばにいたいのよね。

www.youtube.com

shougomama.hatenablog.jp

もうすぐ、盆の入りです。

「月命日でした」から始まり、七夕と、彼女さんと、お母様の思いと、

亡き人との約束や夢を、残された人が叶えてあげられたら、これ程嬉しいことはないのかな。

この結び。

私にはよくない癖があって、このような静かな叙情、追憶(それはすなわち、大昔から、人が何かを願うときのもっとも基本的な形式の1つだと僕は思います)にふれると、つい、自分の道具箱を開いてお見せしたくなってしまうところがあります。どうぞ、お許しください。

*

2001年4月に母を亡くしました。当時52歳。僕は27、いえ、28です。

dk4130523.hatenablog.com

母と子、どちらからものを見るかという立場は異なりますが、僕も、id:ShougoMama さんと、ひょっとしてどこか似たことを、ずっと、思い、考えてきたのかも知れません。

星になるのは、そばにいたいから。

この記事につけたタイトルの Just because to be close to you.には、それくらいの意味を込めたつもりです。

なすとキュウリの精霊馬のイラスト(お盆) | かわいいフリー素材集 いらすとや

この形なら、大丈夫、お星様も乗れそうです。カーペンターズに負けじ、私たち日本の国も、昔からよくできていたようです。

まだ、道具箱には、いくつか話があるので、よろしければ、四季の折々に触れて。

今回、僕からは、以上です。

ぼくちゃん貢ぐ君!

これまでトマトジュースやら何やら健康志向品が多かったので、今回その点を反省してみました(笑)。なんたる我がおしつけがましさよ。たまには、ぱーっとね。

goldhead.hatenablog.com

そうしたところ、ありがたくも約1,200字を書いて下さった。おもしろい。のりにのっていらっしゃるw

1,200字といふのは、断って措きますが、上のカープびいき記事のことです。

以下は、もっともっともーっと手が込んでいる。

kakuyomu.jp

すばらしい。何時幾度(いついくど)読み返してみても何かしらの発見がございます。

圧倒的叙情、淡い立体感、いつのまにか増えている続編、そして、わいせつ石こうの村を想像力の中で持ちこたえるのは、これはおそらく、かなりしんどい作業でしょうね。

*

私も今回ある物語を書き終えて、つくづくその「しんどさ」「楽しさ」を味わうことができました。実は、書く支えになった(リファレンス)の1つが、「わいせつ石こうの村」でした。ありがとうございました。この御恩、屹度忘れません。

そして、僕は、到底、及ばない。そのことを改めて悟りました。いつも読んでそうするように、感嘆して、口をあんぐりして、それから、黄金頭さんの、どうやら不遇らしい生に思いを馳せてみました。

(リンクは貼りません。)

*

例えば、このようなときに、創作に対して、批評が立ち上る、僕の側からいえば、(もちろん、いい意味でのですよ。先日、批評と批判がうんたらだとか一部で話題になっていたようですが、答えは昔っからある程度決まってます。創作者自身や批評家のその作品の「生」を更新するのが批評です。これはかなり有力な説だ。射程は文芸批評だけぢやないぜ。例えば、柄谷行人を読むといい。その)批評家の資質なんだなあ俺はと、しかしここはひとつ創作者の生を更新するお手伝いをしようと、わいせつ石こうの村がもう一話生まれるかもしれないぞと目論んだんですね。ふっふっふ。

*

ちなみに、すぐれた批評家、編集者はこうやって創作者をうまいことだまくらかそうとする生き物なので、お気をつけくださいまし。

黄金頭さんは、そのままで。どうか安心なさって。私はそこまで悪(ワル)じゃない(笑)。

お供え物のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

「恵み」というのは、古来、天が地人に対する方向性で用いるのが筋です。

恵みの雨。MEGMILK

「お」は、その動作主体、恵むを行うSubjectへの敬意です。恵む実体行為は、上から下のベクトルだから下から見れば「下さい」「下さる」が自然な対になります。

しかし創作者は本来「天」の側です。そのことをご自覚ない、或いはご自覚なさ使(し)めているもうじき四半世紀に及ばんとする社会状況、ひょっとしたら、先生の生き難さは、そこにもあるのかしら。

*

「恵む」の動作対が、貢ぐ、でしょう。語源は、まだ大野晋を読み切っていないので、そのうち。しかし、私はいくらでも貢ぎますぜ。ぐへへへ(真似をしてみた)。だめでせう? これが批評家の口真似のいけないところ。

*

ご自愛なさって、長生きしてくださいね。人は天に貢物をするときには、神官を通じて行うのが礼法です。神官も、巫女さんも、きっと、黄金頭さんの周りには、たくさん居(をは)す筈です。荒ぶる天よ文学よ、どうか分かりやすい兆しを、できるだけ、その、ちょっと、「ああ俺はもうだめかもしれない」ってうーんと手前で、どうかお願いしますw

 

(古え、神祇官は天気予報官でもありました。)

(あれ? そういや俺、なんでこんなタイトル付けたんだっけ?w)

 

2017年8月吉日

船橋海神 拝

 

追伸:来年はタイガース優勝の番です。流石にまだ、カープかな? また、忘れたころにお便りします。

 

伊勢の天才性と月と星と水面について

伊勢(872-938)に曰く、

濁り江のすまんことこそ難からめ/いかでほのかに影を見せまし

 後世の心あらむ東人がかなり頑張って訳してみたw 曰く、

その御姿をせめて水面に映していただけるのなら。

*

「ほのか」「かすか」の違いの理解は、惜しみ惜しまれながらも、当世、失われつつあることの1つじゃんよ。

  • ほのか:はっきりとは分からないくらい、わずかに現れるさま。
  • かすか:せいぜい、わずかに感じられるくらいに見える。

女の子の名前で、何となく、「ほのか」ちゃんはありだけど「かすか」ちゃんはなしかなって思いません?

中世人も、基本的に、何かを願うときはだいたい「ほのか」です。恨むとき、もっとずっと切ないときに「かすか」。「かすか」の「か」は疑問の係助詞に近い性質があって、あんまりいい感じがしない(ほんとか? の「か」)。つうわけで、とりわけ名前にするときは「かすみ」にするっしょ(ほんとみがある、の「み」)。

いやあ、怪しい。間違っちゃいないと思うんだけど。俺(1973-)だからさ。俺(973-)のつもりで書くには、そりゃさ、そうとうやりこんだけど、修行がまるで足りてない。

*

ショボンヌ (´・ω・`)

*

その御姿をせめて水面に映していただけるのなら。

*

というわけでだな、この拙文は、id:ShougoMama さんのとこで咲いてる、ひまわり、に捧げられる。間に合ってくれるかな? 他の連中は読むな。スターも付けるな。ブコメしたらオチンチンビローンしに行く。貴様ら、俺の悪行をそろそろ聞き及んでんだろ。

*

俺んとこ読むくらいなら、

shougomama.hatenablog.jp

いますぐ、行ってきやがれこんちくしょうどうか、星に願いを。 (´;ω;`)

七夕のイラスト「天の川・星空」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

旧暦の七夕、盆の入りだ。盆に水を汲み入れ、薄く張れば、せめてその間だけは、夢(ゆめ)が現(うつつ)になるはずなんだ。昔っから、そう言い習わす。俺がいうと信憑性のかけらもねえが、伊勢がそういっている。

私信 id:kozikokozirou さん、それではカープ県呉市の広岡達朗はいかがですか

おはようございます。

こんなやり取りがあって(その節は、ありがとうございました)、

id:kozikokozirou さん、それではカープ呉市広岡達朗はいかがですか。

dk4130523.hatenablog.com

これ(以下)は、長いです。そして恥ずかしい。

dk4130523.hatenablog.com

ほか、よろしければ拙ブログ(これはしいたけ先生のフレーズを拝借)を「広岡」で検索なさってみてください。

*

来週、8月13日は、その、生涯にわたって、「広岡達朗的なもの」を追い求め、愛し、書き記した、偉大なる海老沢泰久茨城県真壁町出身)の命日です。それで、思い浮かびました。

もし、万一、未読でしたら(「江夏の21球」が山際淳司の金字塔であるのと同様の意味で)海老沢さんの金字塔『監督』、どうぞお手にとってみてください。大のお勧めです。

監督 (文春文庫)

監督 (文春文庫)

 

こちらは、表紙は長嶋茂雄ですが、テーマは一貫して広岡達朗です。

僕が広岡さんをカープ県の方と知った由来は、海老沢さんのこの著作です。以来、広岡さんのことは、好きで好きで好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きです。

*

以下は、ご参考です。

www.sanspo.com

カープ呉市はほかに、岡山県勝田郡の大杉勝男東映に推薦なさった、藤村富美男さんも。好きで好きで好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好き、なんですけれども、話が長くなりますので、今朝はこれくらいで。それでは。

 

「山際淳司パーフェクト・コレクション」にご協力をお願いしたい

はてな諸賢のお力に、すがることにします。

私のライフワークの1つに、山際淳司研究というのがあります。

山際淳司 - Wikipedia

もう、好きで好きでたまらないの。ちゅきちゅきなんですよ。ほんとに。大好き。

俺はこの人にあこがれて、この人の文体を何とかわが物にしようと、あれこれやってきた。30年くらい。で、それは諦めた。俺には無理だ。人には向き不向きがある。

よよん君の物語を書いて、もうさ、「山際節」をできるかぎり採り入れた。採り入れようとした。でね、だめなのよ。ほら、マギー司郎になった。というように、似て非なるものになるんだ。締めの段落には、「たった一人のオリンピック」をどうしても使いたかった。冒頭の入りも、「たった一人の」を、やっぱり使いたかった。極力、似せた。そこは、そこそこうまくいったと思う。息を大きく吸い込んで、背筋をしゃんと伸ばして、俺は山際淳司だといいきかせながら、書いた。書いてみた。

投資して下さって、手にして下さった方は、ははんと、あれやねと、思って下さるだろう。(ほんとは1文に「下さる」を3連発するなんてのはやっちゃいけないんだが。)

彼はモスクワ五輪の代表選手に選ばれた。その五輪に日本が参加しなかったのは周知のとおりである。
《結局は》と、彼はいった。《自分のためにやってきたんです。国のためでも大学のためでもなかった。自分のため、ただそれだけです。だからボートを続けることにこだわることができた。バイトをしながらのカツカツの生活でもボートを続けられた》
津田真男は、現在、ある電気メーカーに勤めている。ボートはやっていない。

スローカーブを、もう一球 (1981年)
 

それで、あきらめがついた。俺はどっちかってえと、志ん生の側だ。山際さんの側じゃない。つらい。しくしく。

代わりに、定年退職までざっと20年か25年と考えて、そうしたら、彼の生まれ育った横須賀か、開高健記念館もある茅ヶ崎かに、山際淳司記念館を建て、めでたく館長に納まる。たりめえだ。俺の、俺による、俺のための記念館だ。そこに俺のコレクションが並ぶ。

95%は、これまでに集まったのじゃないか

これまでに、以下は揃っている。

  • ハードカバーすべて
  • 文庫本すべて(※ちなみに「スローカーブを」は、色/デザイン違い版違い帯違いで、20冊を超えたよ)
  • 「Number」登場回を含む、創刊号からある時期(=海老沢泰久さんが亡くなったとき)までのすべて、約2セット
  • 「週刊サンケイ」本名の犬塚進名義の連載号すべて(部分的に、コピーだけのものもある)
  • デビュー作の掲載された「別冊経済評論」1972年5月号の該当箇所(コピー)
  • 金字塔(※江夏の21球ではない)「たった一人のオリンピック」の文芸春秋掲載版の該当箇所(コピー)(角川文庫版とは違うのだ)
  • プロ野球グラフィティ」「スタ・メンは俺だ」など編者(編著者)を務めたもの

難しいのは、こういうのでおじゃる

しかし、ここからがなかなかに切ない。

  • (入手済)上前淳一郎『巨人軍陰のベストナイン』文庫版の解説(※淳司の淳の字は上前さんから譲りうけたのでは? この仮説もゆくゆくは確かめたい)
  • (先週入手!)「ヴェールに包まれた中島みゆき」(『中島みゆき ミラクル・アイランド』所収)
  • (未入手)「Number」創刊準備号(原則、非売品)(※古書店で、見かけた覚えはあります)
  • (未入手)本名の犬塚進名義で週刊誌に書かれたようなもの、上記サンケイを除く
  • (未入手)山際名義でも犬塚名義でもないもの、無記名のもの、でも状況証拠や文体、匂いから、山際さんのものとしか考えられないもの
  • (難易度高いw)NHKサンデースポーツ」台本(※ほしい。買えるものなら買い(取り)ます。)
  • DVD、VHSなど別メディアに添付同梱されるようなもの(ライナーノーツ類。とくに、オフコース高石ともや中島みゆきは、可能性がある。それと文芸春秋のスポーツ関連メディア)
巨人軍陰のベストナイン (角川文庫 白 269-2)

巨人軍陰のベストナイン (角川文庫 白 269-2)

 
中島みゆき ミラクル・アイランド (新潮文庫)

中島みゆき ミラクル・アイランド (新潮文庫)

 

生前、ご本人も記していらっしゃったように、書くスピードが速くて、打診された仕事は一時期を除いて基本的にすべて受ける方だった。わるいことばでいえば「書き散らし」「いろんなところにそれぞれの形で収まってしまった」部分というのが、つらい。

御子息の犬塚星司さんにも、いちどにどコンタクトを試みたのだが、いまのところ、相手にしていただけておりません。重松清は嫌いです。こういうこと書くからいかんのやろけど、だってなあ、いま(さら)重松清が「21球」だしにして何語るよ。

kadobun.jp

語るとしたら、俺なら、

ドラマは唐突に始まった。江夏の1球目はコンダクターのタクトだった。その腕が振りおろされたとき、最終楽章はアレグロで動き出す。

(「江夏の21球」(角川文庫『スローカーブを、もう一球』P.40-41)

これが、これにつながるのよ。

そしてすべてが終わるのだ。

(同P.58)

この、70年代末から80年代初頭の、ちょっと気障なところ。うまいよねえ。ガキ共、こういうのが本物の意識高いっていうんだぜ。音楽ものを扱った犬塚進が、こういうところで生きる。

それから、(あえて「21球」からの引用はしない。みなさん買って読んで)

山際淳司bot作りました - illegal function call in 1980s

江夏がベンチの奥で煙草吸うシーンが好きだったけど、あれは「21球」だったっけ……。/↑おお、ありがとうございます。やっぱり江夏はかっこいいですね。

2017/04/08 11:00

b.hatena.ne.jp

id:sugimurasaburo さんからコメントをいただいたとき、うれしかった。ショート・ホープをリリーフの江夏はゆっくりと吸う習慣なのよね。それが、このゲームではゆっくりと吸う時間はなかったと、あえて山際さんは書く。id:sugimurasaburo さんが書いていらっしゃるように、その目に浮かぶ江夏の姿が、また絶妙に格好いい。

ここからは俺の与太説なんだけど、例の平野満塁策のときブルペン(池谷と北別府)に目を遣る。それで衣笠が宥めるんだけど古葉ちゃんと氷山の下、心情面でひと悶着するわけだ。ニコチンが切れてるもので、怒りの火力倍増。カープから日ハムに放出される遠因になる。ここにはショート・ホープ(の不十分)も影響していたんじゃないか。いや、与太です。江夏がそんなレベルの低いわけない。江夏大好きです。江夏を好きになったのも山際さんのおかげであります。

閑話休題それでも俺は約束をしたのだ

海老沢泰久(直木賞作家)作品目録

俺は海老沢泰久もまあ9割がた、揃えている。で、こちら上のサイトのヒサさんと、震災前にメールでやり取りして(僕が1点2点、海老沢作品の掲載漏れらしきことをお知らせした)、そのときに、ヒサさんは海老沢パーフェクト・コレクションを(海老沢さんに関しては俺は安心して2番でいい)、俺は山際パーフェクト・コレクションを(譲らぬ)生涯をかけてやり遂げましょうと誓いあった。

そして、ヒサさんは小説もお書きになって受賞歴もおありになる方だったから(選者は阿刀田高だったかな)「第1回海老沢泰久賞」を、僕は「第1回山際淳司賞」を、これは誰にも譲らないぜと、やっぱり互いに誓った。

志ん生のほうに行っちまったら「第1回山際淳司賞」はだめじゃんて?

ふっふっふ。秘策がござる。

俺が創設するんだ。俺が金を出す。予め俺が受賞すると宣言して俺が受賞する。

これだと、第2回が実質第1回になっちまう気がしないでもないが、そしたら第0回を俺がもらえばいい。あれ? それじゃ解決にならない。つらい。

そんなわけで

いつも口が悪くいい歳をして小生意気な俺ではあるが、挑んで鼻を明かしてやろうぜくらいの気持ちで、ふと、古書店などで山際淳司を思い出してほしいのです。もしやというのが見つかったとしたら、俺がそれを持ってる持ってないの判断は、申し訳ないが俺の側の紳士協定で。ものによっては買い取るし、船橋で寿司でもいい(旨いぜ)。あるいは、情報提供だけでも。

北のラッコさんは中島みゆきがお目当て。だからご自身にあえてのおつもりはなかったと思うが、知らせてもらった恰好の俺にしてみれば、もうねえ、うれしかった。うれしいの何のって。天にも昇る気持ちよ。読んだらやっぱり山際さんの匂いがする。

よろしくお頼み申します。

追伸

卒論で山際淳司やる人いない? 差し上げはしないけど、貸すし、相談にも乗るよ。布教だと思って「スローカーブを」くらいなら買って差し上げるかも。だが代筆はしない。俺が、若い人の新しい視点と感性を読んでみたいから。

あと文春「Number」編集部、なんでこんなになっちゃったんだよ。恥を知れ。岡崎満義さんの時代に、いまみたいな断罪調の筆致があったか?

賢いライターなら、もっとうまい言い方で協力関係構築をお願いしていく手を選ぶのだろうが、おあいにくさま、俺はそういう柄じゃない。ぼこすかぼこすか(# ゚Д゚)

よろしくお願い申し上げます。

「しこしこ」「もっこり」小考

「しこしこ」と、「もっこり」について、ちょっと考えてみたい。手短に。主に語源の推定である。理由はおしまいに述べる。

しこしこ

説A
  • 麺などの「こし」のしっかりしていること(こしごし)。「しこしことした歯ごたえ」。いづれの御時にかks→sk転換の起きけむ。
説B
  • しこしこ→しこ+しこ
  • しこ→こし→こする
  • こする→する

遡行すると上のようになるが、時系列では、これの逆が起こったか。つまり、太古に「擦(ル)」という基本動詞があり、それに接頭語「こ」が付き(たとえば、練る/こねる、踊る/小躍りする、などを想起されたい。ニュアンスは「ちょっと」「(小)手(元)で」)、オノマトペ「こしこし」「ごしごし」が発生して、これが後世に逆転/ksがskに転換し「しこしこ」となったか。

ただ、注意が必要なのは、岩波古語辞典P.619に曰く、

しこしこ:むやみにするさま。やたら。「(略)云ひ侍る人をばしこしこ痛め」≪仮・童蒙先習上≫

とあること。「言上する人のことをやたらと攻撃して」くらい。

kotobank.jp

参考まで、岩波古語辞典の引く出典は、1541年に李朝で世に出された中国朝鮮の歴史入門書。これの仮名草子。江戸時代に仮名交じりの日本語に訳されたもの、くらいに思っていただけたら。

腰を入れてしっかり。むやみ、やたら。うーん。微妙だ。

ちなみに、北関東には「しこってる」で調子に乗っている、の意味で通用する地域がある。あった。先輩「てめえ、しこってんじゃねえ」後輩「いえ、しこってません」。

はい、次。

もっこり

これは、自説がある。定説の「もっこ」(おんぶもっこ)起源説は、僕は採らない。

もっこ - Wikipedia

持ち+籠=もちこ→促音便→もっこ。わるくなさそうなんだけど、もっこりは、どちらかというと、運ぶ(持つ)ときというより、持ち籠から土を平らな地面に落とした後のさまでしょう。ちょっと親和しない気がする。負ぶさった外形は確かにいかにも「もっこ」という姿なんだけどね。

理由はほかにもある。それは、「こんもり」という言葉(木が林や森を形成して全体が遠目に丸く盛り上がっているさま)。モとコの複合語ぢやないのか。ただ、並びは盛ってから凝る、かな。あるいは盛りながら、凝る。

そうして、盛るは森や杜にも通じる。水平面までを並み、それを上回った状態を盛りとわれわれは呼びならわす。ご飯茶碗の山盛りのあれである。あるいは古墳。盛り土をする。

凝るは、肩こり、なんてところに息づいていますね。岩波古語辞典にも、ほら、

液体など、流動性をもって定まらないものが、寄り固まって一体となる意。

(P.527)と、我が意を得たり。

今朝、私は甘夏さん(id:amanatusauce)から、前の晩に青い★を付けて差し上げたお礼をいわれ、うれしくなった。甘夏さんが「にっこり」とおっしゃったので、僕は腕立て伏せをして力こぶを作り「もっこり」と韻を踏んで返した。そう、ガッツポーズだ。

そして男子当然の願いとして、もっと強くなりたいと思ったので、マストドンwww.nekotodon.com - Mastodon)のほうで甘夏さんにノックをお願いした。

くーちゃん @nekokurumihime
甘夏さん僕をしごいてください!

すると、何たること、サイババに夢中(目がない)とかいうインターネット初心者(id:netcraft3)から、いわれのない誹謗中傷を受けたのである。

サイバーメガネ @miraihack
鯖菅さんがマストドンでもセクハラしている件w

諸君、覚えておいてほしい。もちろん、直接にも文句をいったのだが、我が心の内にわいせつ/セクシュアルがあるから、世界もまたわいせつ/セクシュアルだと思ってしまうのだ。汚れているのは、サングラスの奥の我が心である。私の中の三島由紀夫がそう強く主張している。

したがって、断乎、戦う。ちなみに、断固の固は代用字といって、漢文由来の乎が正統である。断は決断の断。決める。乎は感嘆。だから、断乎は、強い決意を表すことになる。池波正太郎の「鋭ッ」みたいな感じだ(それはいいすぎ)。

(甘夏さん、申し訳ございませんでしたw)

 

古語動詞「忘る」の研究

丸谷才一めいたことをやる。但し仮名遣ひは手間暇かかるので歴史的ではなく専ら現代のそれで。

*

古語動詞「忘る」の研究である。「忘る」とは何であろうか。これが一体一様に厄介な代物なのだ。読者諸賢は苦い恋を忘れた、忘れようとした経験があろう。どうしたか。

  • しいて、努めて記憶から消し去った。そうして忘れた。
  • 自然に、思わなくなった。気づいたら忘れていた。

きっと、この2種類の方法。みなさんの失恋の経験を想像するに、おそらくは、失恋初期にとる手法は前者。脂がのってきたら(妙な表現だが)後者ではなかったか。何がいいたいかというと「忘れる」という行為には意志と自然という相反する性質があって(岩波古語辞典にもそのように2系統を分けて記してある)、そのことを私たちは曖昧に意識に沈めたままに使っている節がある。

ところがどうも古語にはこの2種類を(少なくとも上古:奈良以前には)使い分けていたようで、その証拠、化石が平安時代の歌にも、ちゃんと残っている。

  • 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな(右近)

  • 忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな(儀同三司母)

解釈は、前者「貴方は【意図的に記憶を上書きして(次の恋に向かって)】私のことを忘れてしまうでしょう。その忘れられる自分のことはどうでもいいのです。きっと忘れまいと神仏に誓った貴方に神罰が下り命が削られてしまうことが残念なのです」。

おそろしいおそろしい。

後者「貴方は私のことを【(自然の忘れるという作用に抗って)】永遠に忘れまいと誓ってくださった。うれしいのだけれど永遠は遠すぎます。だったらいっそのこと幸せな今日のうちに我が命の尽きてしまうことを願いたいのです」。

おそろしいおそろしい。

重要なことなので二度いいました。

*

しかしそれにしてもなぜ、【】のような2種類の解釈、訳し分けが考えられるのか。その鍵の1つが動詞「忘る」の活用です。みなさん高校でやってこなかったでしょう。やっても忘れてきた。嫌だろうけど思い出してみましょうか。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

食は

a

食ひ

i

食ふ

u

食ふ

u

食へ

e

食へ

e

接続例は、あくまでも例です。なぜこれらに代表させているかというと、これで覚えておけばまず間違いがないから。そして未然形のところがポイントで、例えば「食ふ」これは未然形「食は(a音)ず」「食は(同a音)ルル」とa音で活用する。a音で活用するときには四段活用(a,i,u,eの四段)というのが過去幾千幾万の動詞の研究から帰納かつ演繹的に決まっている。他に例へばi音なら上一或いは上二段活用といふやうに。そのようなわけでわれわれは古語動詞「食ふ」は四段活用なのだと安心していふことができる。(これが丸谷才一の筆致)

*

忘るに、適用してみる。

  • 右近の用いた動詞「忘る」(←忘らるる):a,i,u,eが登場するから四段だ。意味は、意志の力で記憶から消し去る(だいたいどの古語辞典にもその意味合いで記してある)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘ら

a

忘り

i

忘る

u

忘る

u

忘れ

e

忘れ

e

  • 儀同三司母の用いた動詞「忘る」(←忘れじの):eとuの2つしか登場しないから下二段だ。意味は、自然に記憶が薄らいでいく(同上)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘れ

e

忘れ

e

忘る

u

忘るる

u-ru

忘るれ

u-re

忘れ

e

*

と、なんとなく、似てるけど扱い分けの必要な系統であることが見えてきませんか。

ラッコのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

さて、ここで若干思い切った補助線を引いてみよう。万葉集巻7-1197詠み人知らず(雑歌羇旅)に、

手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり

とある。前の記事でも引いたが、話の落ちが我ながらよろしくないのでリンクはしない。

ともあれ、諸賢、「恋忘れ貝」に注目されたい。これは実は下二段活用のほうの「忘る」の連用形(連用中止形)である。なぜかというと、あまり学校では熱を入れて教えてくれないのだが(大問題だ。かういふところにこそ国語学の味わひがあるというのに)、日本語には連用中止という名詞の作り方がある。例には、「嘆き節」なんてのがいいかな。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

嘆か

a

嘆き

i

嘆く

u

嘆く

u

嘆け

e

嘆け

e

「節」は、これはだれがどう見ても名詞(体言)だ。だからといって、普通、連体形のところにある「嘆く(u)節」といいますか。いわないでしょう。「嘆き(i)節」ですね。そして「嘆き」(i音)は連用形のところにしか出てこない。以上の手続きによって私たちは安心して「嘆き節」の「嘆き」は連用形、連用中止形という古式ゆかしい用法であると断じられる。同様に「書き方」の「書き」、「話しぶり」の「話し」、「語り種(グサ)」の「語り」、「仕種(シグサ)」「仕訳け」の「仕」、「尋ね人」の「尋ね」、さらには話は飛ぶかもしれないが「美人局」(ツツモタセ)の「モタセ」までもが、連用中止形であることが自ずと知れる寸法。

話を戻して「忘れ貝」の「忘れ」も、然り。

そして重要なことは、古語全般に見られる傾向として、複合語のほうにより古形を残す、ということがある。例えば「酒(サケ)」よりも「盃(サカづき:酒さか+杯:つき)」「酒盛り(サカもり)」のほうが、古い。今回の本題ではないので論証や例示は略しますが、そのようなものだと思ってください。

*

忘れ貝も、これなのじゃないか。ちょっと(というか、うんと)弱いのだけれど。

なぜ私がこんなことを力説しているかというと、古語では四段活用の「忘る」が古形、下二段活用の「忘る」が後からの形とされている。私淑する大野晋先生も岩波古語辞典ほかでそう仰っている。

しかし、生意気なようではあるが、私はここにダメ元で一石を投じてみたい。少しだけ相対化、問い直しをしたい気分でいる。古形というよりも、二系統併存といふにふさわしい状況がむしろ長く続いたとは考えられないだらうか。

というのは、

  1. 「忘れ貝」の用法は万葉にある。万葉以前のより古い時代から海の男女たちによって用いられていた。それが採取して詠まれた。時系列はそうでないとおかしい。ということはなかなかに古くからの言い方である。
  2. 四段活用「忘る」が古形だとしたらその連用中止形を得て「忘り貝」という言い方であってもよかったはずだ(右近のために用意した上の表を見直されたい)。だが少なくとも私は見たことがない。(たとへば、かすり傷、なんていまでもいいますね。忘り○があつたつて不思議ぢやない。)
  3. 古人の感性は「自然に移す/還す/任せる/願う」のが主流だったのじゃないか。どうもそんな感じがする。辛い恋を忘る、その忘れるための貝とは、恋の思い出を貝殻に移して、自然に祈り任せるための道具。おまじない、なんていう表現もある。

心許ない仮説ではあるが、私には、ここらのところが、判然としないのである。たれか心ある人よ、研究を掘り下げて下さらんか。

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