illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

古語動詞「忘る」の研究

丸谷才一めいたことをやる。但し仮名遣ひは手間暇かかるので歴史的ではなく専ら現代のそれで。

*

古語動詞「忘る」の研究である。「忘る」とは何であろうか。これが一体一様に厄介な代物なのだ。読者諸賢は苦い恋を忘れた、忘れようとした経験があろう。どうしたか。

  • しいて、努めて記憶から消し去った。そうして忘れた。
  • 自然に、思わなくなった。気づいたら忘れていた。

きっと、この2種類の方法。みなさんの失恋の経験を想像するに、おそらくは、失恋初期にとる手法は前者。脂がのってきたら(妙な表現だが)後者ではなかったか。何がいいたいかというと「忘れる」という行為には意志と自然という相反する性質があって(岩波古語辞典にもそのように2系統を分けて記してある)、そのことを私たちは曖昧に意識に沈めたままに使っている節がある。

ところがどうも古語にはこの2種類を(少なくとも上古:奈良以前には)使い分けていたようで、その証拠、化石が平安時代の歌にも、ちゃんと残っている。

  • 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな(右近)

  • 忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな(儀同三司母)

解釈は、前者「貴方は【意図的に記憶を上書きして(次の恋に向かって)】私のことを忘れてしまうでしょう。その忘れられる自分のことはどうでもいいのです。きっと忘れまいと神仏に誓った貴方に神罰が下り命が削られてしまうことが残念なのです」。

おそろしいおそろしい。

後者「貴方は私のことを【(自然の忘れるという作用に抗って)】永遠に忘れまいと誓ってくださった。うれしいのだけれど永遠は遠すぎます。だったらいっそのこと幸せな今日のうちに我が命の尽きてしまうことを願いたいのです」。

おそろしいおそろしい。

重要なことなので二度いいました。

*

しかしそれにしてもなぜ、【】のような2種類の解釈、訳し分けが考えられるのか。その鍵の1つが動詞「忘る」の活用です。みなさん高校でやってこなかったでしょう。やっても忘れてきた。嫌だろうけど思い出してみましょうか。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

食は

a

食ひ

i

食ふ

u

食ふ

u

食へ

e

食へ

e

接続例は、あくまでも例です。なぜこれらに代表させているかというと、これで覚えておけばまず間違いがないから。そして未然形のところがポイントで、例えば「食ふ」これは未然形「食は(a音)ず」「食は(同a音)ルル」とa音で活用する。a音で活用するときには四段活用(a,i,u,eの四段)というのが過去幾千幾万の動詞の研究から帰納かつ演繹的に決まっている。他に例へばi音なら上一或いは上二段活用といふやうに。そのようなわけでわれわれは古語動詞「食ふ」は四段活用なのだと安心していふことができる。(これが丸谷才一の筆致)

*

忘るに、適用してみる。

  • 右近の用いた動詞「忘る」(←忘らるる):a,i,u,eが登場するから四段だ。意味は、意志の力で記憶から消し去る(だいたいどの古語辞典にもその意味合いで記してある)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘ら

a

忘り

i

忘る

u

忘る

u

忘れ

e

忘れ

e

  • 儀同三司母の用いた動詞「忘る」(←忘れじの):eとuの2つしか登場しないから下二段だ。意味は、自然に記憶が薄らいでいく(同上)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘れ

e

忘れ

e

忘る

u

忘るる

u-ru

忘るれ

u-re

忘れ

e

*

と、なんとなく、似てるけど扱い分けの必要な系統であることが見えてきませんか。

ラッコのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

さて、ここで若干思い切った補助線を引いてみよう。万葉集巻7-1197詠み人知らず(雑歌羇旅)に、

手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり

とある。前の記事でも引いたが、話の落ちが我ながらよろしくないのでリンクはしない。

ともあれ、諸賢、「恋忘れ貝」に注目されたい。これは実は下二段活用のほうの「忘る」の連用形(連用中止形)である。なぜかというと、あまり学校では熱を入れて教えてくれないのだが(大問題だ。かういふところにこそ国語学の味わひがあるというのに)、日本語には連用中止という名詞の作り方がある。例には、「嘆き節」なんてのがいいかな。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

嘆か

a

嘆き

i

嘆く

u

嘆く

u

嘆け

e

嘆け

e

「節」は、これはだれがどう見ても名詞(体言)だ。だからといって、普通、連体形のところにある「嘆く(u)節」といいますか。いわないでしょう。「嘆き(i)節」ですね。そして「嘆き」(i音)は連用形のところにしか出てこない。以上の手続きによって私たちは安心して「嘆き節」の「嘆き」は連用形、連用中止形という古式ゆかしい用法であると断じられる。同様に「書き方」の「書き」、「話しぶり」の「話し」、「語り種(グサ)」の「語り」、「仕種(シグサ)」「仕訳け」の「仕」、「尋ね人」の「尋ね」、さらには話は飛ぶかもしれないが「美人局」(ツツモタセ)の「モタセ」までもが、連用中止形であることが自ずと知れる寸法。

話を戻して「忘れ貝」の「忘れ」も、然り。

そして重要なことは、古語全般に見られる傾向として、複合語のほうにより古形を残す、ということがある。例えば「酒(サケ)」よりも「盃(サカづき:酒さか+杯:つき)」「酒盛り(サカもり)」のほうが、古い。今回の本題ではないので論証や例示は略しますが、そのようなものだと思ってください。

*

忘れ貝も、これなのじゃないか。ちょっと(というか、うんと)弱いのだけれど。

なぜ私がこんなことを力説しているかというと、古語では四段活用の「忘る」が古形、下二段活用の「忘る」が後からの形とされている。私淑する大野晋先生も岩波古語辞典ほかでそう仰っている。

しかし、生意気なようではあるが、私はここにダメ元で一石を投じてみたい。少しだけ相対化、問い直しをしたい気分でいる。古形というよりも、二系統併存といふにふさわしい状況がむしろ長く続いたとは考えられないだらうか。

というのは、

  1. 「忘れ貝」の用法は万葉にある。万葉以前のより古い時代から海の男女たちによって用いられていた。それが採取して詠まれた。時系列はそうでないとおかしい。ということはなかなかに古くからの言い方である。
  2. 四段活用「忘る」が古形だとしたらその連用中止形を得て「忘り貝」という言い方であってもよかったはずだ(右近のために用意した上の表を見直されたい)。だが少なくとも私は見たことがない。(たとへば、かすり傷、なんていまでもいいますね。忘り○があつたつて不思議ぢやない。)
  3. 古人の感性は「自然に移す/還す/任せる/願う」のが主流だったのじゃないか。どうもそんな感じがする。辛い恋を忘る、その忘れるための貝とは、恋の思い出を貝殻に移して、自然に祈り任せるための道具。おまじない、なんていう表現もある。

心許ない仮説ではあるが、私には、ここらのところが、判然としないのである。たれか心ある人よ、研究を掘り下げて下さらんか。

www.mugendai-web.jp

私信 琉球大学2009英語英文和訳

昨日は昼間のプールが効いて会議のあと寝てしまいました。

前後を含めて訳してみます。

From a business point of view, successful communication is the foundation of a productive relationship. Within a business alliance, for instance, there should be shared perceptions and shared codes between the executives in order to establish a successful association. (*) The more the executive share ideas regarding not only their business but also each other's philosophy, favorite books, hobbies, etc., the more successful the partnership will be. It is essential for both sides to develop common communication strategies.

仕事の観点で見た場合、コミュニケーションがうまくいっていることが、生産的な関係の何よりの(=the)土台です。仕事上の良好な関係を築くためには、幹部職員間で例えば認識(perceptions)や行動規範(codes)の共有がなされているべきです。(*)仕事の意見にとどまらず、各々の価値観や好きな本や趣味といったことまで幹部職員間で意見の共有(/交換)(**)が進めば進むほど、協力関係はうまくいくでしょう。コミュニケーションで共通性を高める戦略というのは、(協力を行おうとする)双方にとって極めて重要です。

訳出のポイント

  • 構文は、それほど難しくない。頻出、典型です。The 比較級, the 比較級。AすればするほどBになる。
  • むしろここのポイントは(1) philosophyを「哲学」と訳さないことでしょう。好きな本や趣味との対比で哲学は重すぎる。「考え方」くらいでもいいと思います。
  • ポイント(2)は、「要は仕事の話ばかりしていてはダメだよ。それはいつまでたってもビジネスのレイヤー(層)の関係だけ。コミュニケーションの礎はその下、土台のレイヤー。抽象的な言い方をすれば認識や行動規範。具体的には例えば好きな本や趣味。そこを共有しないと」という話の流れがちゃんと見えているかどうかです。

恥を晒します

再受験生氏曰く、

役員らが自分の仕事に関するひらめきだけでなく、互いの哲学や好みの本または趣味に関するひらめきをもっとたくさん共有すればするほど協力関係はより実りあるものになる。

何か、何となくわかるようでピンぼけしていますね。もっと、単語の選定や修飾関係にいい意味でこだわってください。80文字。これ、ツイートでイケダハヤトとかはあちゅうとかから流れてきたら「おいおい、何ふわふわしたこと言ってるんだよ」って思いますよね。それじゃだめなんです。

それ(曖昧さ)も含めて、採点は部分点で削っていくでしょうから、10点の配点なら7-8点くらい。減点の内訳は、ざっと以下の通りです。

意外に厳しいでしょう? この積み上げが、合否を分けるんですね。

  • ▲(-0.5)ひらめき→単に、考え、意見、着想、くらい。「意見交換だけじゃだめだよ」って筆者は言ってます。ビジネスの意見交換は日常茶飯事だからね。それは当たり前。それだけじゃだめだっていうのが文意。「ひらめき」は、発明みたいなときに使うニュアンスであり、そんなに日常的に交換するものじゃないでしょう?
  • ▲(-0.5)哲学→上述。受験技術的には「価値観」という訳語を覚えておくと損はありません。
  • ▲(-0.2)たくさん→不要な訳語。また、やや砕けた表現。
  • ▲(-0.7)実りあるものになる→きちんとwillの意味を出してください(-0.5)。また、「関係が実りあるものになる」と、普通、日本語でいいますか(-0.2)。この話題を知らないおねえちゃんを想定してください。「わからない」と言われると思いませんか。
  • ▲(-0.1)役員ら→複数を「ら」で処理するのは確かにありです。ただこの文脈ではかえって読み手が首をかしげます。役員だけなのか? 何人なのか? 「ら」はベン図で書くと何が含まれ何が含まれないのか? どのみちコミュニケーションは複数(ここではA対Bの二者関係でしょう)で行うものなのでもうちょっとうまい、「ら」を使わない集合名詞をひねり出してください。「役職者」「上役」など。必ずこれまでにどこかで聞いて脳内にストックされているはずです。僕は「幹部職員」が好みです。
  • ▲(-0.5)または→原文にorがないので誤訳です。二択や三択ではなく、例示、列挙です。「XやYや」の「や」ですね。etc.の処理は僕はここでは列挙をとり「といった」で処理しました。
  • ▲(-0.2)each otherは副詞なら「互いに」でしょうが、形容詞句の場合は「各々(自分)の」「銘々の」「各人(が各人)の」とやるべきです。まず、それぞれに、自分の価値観を持ち寄る。次に、それを相互に、開示し、共有、交換する。順序はまず、各人が自分の胸の内から価値観を取り出すのが先です。

ちなみに

  • (**)この「共有」は「交換」としてもいいくらいですね。ただexchangeではないので受験本番では「共有」に留めておいたほうが賢明です。

以上です。

私信 琉球大学2010英語英文和訳

参考になれば。

Twins 出典はおそらくこれ。この一部改変かと。

(A)

Beth did seem to be more successful with her friends and less confused than Amy, but she also showed less understanding of her own feelings.

ベスは実際エイミーよりも友人から人気を集めていて、また混乱の度が少ないように見えた。と同時に、ベスはエイミーほど自分の気持ちを理解していない様子を示した。

訳出のポイント

  • be successful with friendsは、もてる、人気がある。かなりうまくやっている。付き合いに成功している。
  • 強意のdo / didは「実際」と訳しておけばまず十分。
  • 全体に比較級がかかっていること。比較の対象がAmyであることを採点官に理解させる。
  • butは「しかし」等と逆接で訳さないほうがいいこともある。(むしろそのほうが多い感じ。通販の"But wait"は「ちょっと待って」)この出題文の場合、Also, she showed... と大差ない。
  • feelingは、feelingsと複数になって出題されることが多い。その場合、意味は「気持ち」。単数のfeelingは愛情、感触、感じ方、思いやりなど。
  • ownは「自身」とせずに「自分」とやる。

(B)

If psychologists had not known that they were twins, wouldn't they have blamed the problems of each child on her family environment?

心理学者たちが仮に二人を双子だと知らなかったら、ふたりそれぞれの問題を家庭環境のせいにはしなかったのではないか? (実際には双子だと知っていたので家庭のせいにした)

訳出のポイント

  • 全体が仮定法(仮定法過去完了)であること。
  • blame A on Bは、AをBのせいにする。かなりの頻出の決まり文句、熟語、イディオム。
  • 仮定法は仮定法であると理解していることを採点官に理解させるために、カッコ内までダメ押しで訳しておくことが望ましい。

全体的に

  • 出題文の他の箇所はざっとしか読んでいません。
  • それでもポイントを押さえた訳はできる。満点ではないかもしれない。でも減点箇所を少なくすることは出来る。そのためには俗にいう出題の狙いを「ふむふむ」と見抜くことが大切。それには相応の努力を要する。
  • 僕の訳文を見てもらえばわかるように、点(読点「、」)は1文1つまで。

以上です。

恋を忘れる万葉のおまじない

万葉集巻7-1197詠み人知らず(雑歌羇旅)に、

手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり

(※あー、これほど美しい歌を前に、オチまでやりたくないんだ本当は)

数ある万葉の雑歌、羇旅、詠み人知らずの中でもこれはわが筆頭、声に出すと少しつっかえつっかえで読みにくいところはあるんだけれど、その漢字と仮名の配列ったらない。結句の解釈も実に万葉の人のものの感じ方、言い様というものを表し、そして今日に伝えている。

北限の海女さんのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

まず品詞分解。

  • 手(名詞)/に(格助詞)/取る(ラ行四段活用同士「取る」連体形)/が(格助詞)
  • から(格助詞。~するとすぐに)/に(格助詞)/忘る(ラ行下二段活用動詞「忘る」終止形)/と(接続助詞。引用)
  • 海士(名詞。あま、と訓ず。イラストは女性を引いたが、衛士などにもあるように、男性かな)/の(格助詞。主格)/言ひ(ハ行四段活用動詞「言ふ」連用形)/し(直接体験過去助動詞「き」連体形)
  • 恋忘れ貝(名詞。二枚貝の片貝のこと。「磯の鮑(あわび)の片思い」など。もちろん鮑以外も)
  • 言(名詞。ことば)/に(格助詞)/し(副助詞。強意。言葉では確かに、そう)/あり(ラ行変格活用動詞「あり」連用形)/けり(詠嘆の助動詞「けり」終止形)

続いて訳。そんなに難しいところはない。

「手に取ればすぐに忘れる」と海士が話していた恋忘れ貝。

確かに言葉ではそうなんだけどね。

受験古文的に「言にしありけり」を「言葉であったのだなあ」なんて解釈のお手本通りに訳してはわからない。万葉を数読みこなして、《海士の言った通りなのか》《海士の言ったことは当たっていないのか》怪しいと立ち止まれるようになればしめたもの。そう、かつて大学である先生が教えてくださった。

「忘れ貝だなんていって、言葉だけじゃんかよう(つらい)」くらいまで、拗ねて訳してみてもかわいい。

それで、上にも書いたけど、(恋)忘れ貝は、二枚貝のこと。現代では鮑が代表格に収まったようだけれども、昔は二枚貝であればだいたい何でもよかった。いつかは番(つがい)になる願い。なれなかったときには忘れさせてくれる。次の恋の準備を。

*

さて問題だ。

昨今、粋人の頭を悩ませるのがこれ。

A さんに謝罪をし、二度と同じことを起こしてはならないと考えそれからしばらくは、性交渉をもつことをやめ、A さんと会う際はお茶や食事のみに留めるようにしました。

しばらくして、再び A さんと性交渉に及ぶ機会になった際

俳人id:naoya氏の書いたリベンジポルノに対するアンサーブログについての感想 : オティンティンミサイルゴーズオン!

敬意を表して(あー、やっちまったよw)、引用は原典ではなく、大先生のところから。

*

俺の仮説は次の通りだ。

おそらく、「な」さんという人はよほど辛かったのだろう。辛い、もう恋だか恋じゃないんだかわからなくなっちまった気持ちを忘れたいと、手を伸ばした。わらにもすがる思いで手をかけたんだね。それは間違いじゃなかった。

各々、クリックしてほしい。わかる方は、しなくていいから。

アワビのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

鮑(あわび) - 万葉の生きものたち

まじないでは、殻のほうに手をかけなきゃならなかった。それが野郎、身のほうに手をかけちまった。

*

つらい。書いて損をした(笑)。口直しに、次の1冊など。もちろん、貝も、出てくる。

贋食物誌 (中公文庫)

贋食物誌 (中公文庫)

 

 追記:

不吉を耳にした、口にしたときには鉄を触るなんていう作法がイタリアにもあるらしい。

www.youtube.com

たまたま、きのう、外でご飯食べたときにやってたのを思い出しました。

くち直しおとなのこひのはなし也(文屋康秀名誉回復之巻)

少し口直しに。大人の恋の話でも。

*

文屋康秀三河掾(じょう。律令制の4官「かみ/すけ/じょう/さかん」の下から2つめ。係長待遇)を命じられて(865頃。35歳くらいだろうか)その出立の前にかつての恋人、小野小町に手紙を贈る。

文屋康秀三河掾になりて、「県見には、え出で立たじや」と言ひやれりける

このたびの三河の任地の下見に(私と共に)行くわけにはまいりませんか。

  • え~じ、で禁止、不可能の意味。わが意ではどうにもならない含み。これに疑問係助詞「や」が加わる。「さすがにどうにもなりませんか」。言ひやる、は書いてよこす。

返事によめる

その返しに、かつて恋人の間柄だったとされる小野小町が詠った。

わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ

  • わぶ:困り果てる
  • ぬ:持続態。すっかり~し切る
  • れば:~なので
  • うき草:浮きと憂き(世)の掛詞
  • あらば:あるのなら(ば)
  • いなむ:ナ行変格活用動詞「往ぬ」未然形+意志助動詞「む」終止形。行ってしまいましょう。

すっかり落ちぶれて、どのみち浮き世、根なしの暮らしでございますから、貴方がお誘いの水を向けてくださるのでしたら、この憂き草を断ち切って、ついていきたい気持ちです。

*

この文屋康秀、実は百人一首でかえって損をしているくちで、

吹くからに秋の草木のしおるればむべ山風を嵐といふらむ

 訳さないよ。

正直、口触りはいいが、見るべきところの少ない歌だ。なぜこれが撰ばれたのかと俺は訝しむ。生涯、下級役人だったからか。紀貫之が手厳しい。

文屋康秀 - Wikipedia

古今和歌集』仮名序「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」

技術は見るべきところがあるが中身がついてきていない(身におふ=負う。内実を伴う)。まるで商売人が上辺だけ、いい着物を着ているようだ。

*

そうかもしれないね。小野小町を絶賛した貫之がいうのだからそうなのだろう。さすがに悪い例として「むべ山風を」を撰ぶとは俺には思えないんだけどね。でもちょっと意地の悪さが感じられる。

*

そう、俺はそのこと(文屋評)がいいたいわけじゃないんだ。むしろ彼の名誉のために筆を執った。

*

彼は小町に戯れを装って「一緒に行きませんか。来てくれませんか」と投げかける。無論、答えは決まっている。ふたりとも、わかってる。だが、文屋の野郎は、万が一、小町が来るといったら迎える用意があったのではなかろうか。

うだつの上がらない下級官僚だ。実際、生涯そうだった。それでも、三河まで落ち延びれば、さすがに京の口さがない連中の声や耳は届くまい。いまなら、その暮らしを、用意してやれる。

だが、しかし。相手は色衰えたりとはいえど小野小町。むかし付き合えたのが奇跡というもの。いま改めて敵う相手じゃない。どうする。

小野小町のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

案の定、小町のほうが一枚も二枚も上手だった。もう、訳さないからね。

「(もう、貴方と付き合っていたころの私じゃないの。その気になってしまうじゃない)お世辞でも、気にかけてくれて。どうぞ、お元気で」

翻って、康秀、言いよこしたとされる歌の残っていないのが惜しまれる、しかし、

「もう、遅いかもしれない。それでも(貴方のことが好きでした)」

*

くち直しおとなのこひのはなし也。どっかに、ないのかね。こういうの。ああいうのじゃなくて。プンスカ

*

追伸:忘れていた。申し訳ござらん。

yutoma233.hatenablog.com

小野さんが、

あの時手を伸ばしていたら、何かが変わったんだろうか?と時折考える。

優しさに、相当胸がときめいた。

と、書いていらっしゃったのに、思わず触発されたのでございました。

つまり小町まで一本道なのでございます。

私信 古文7/22

私信です。業務連絡です。古文は僕が指示を出すことにしました。

*

以下はエビデンスです。91年1月のセンター試験国語は200点満点中190点。現代文と古文が満点で漢文で配点10を1問間違いました。

同2月のうんたらでは120点満点中自己採点88点。ちなみに英語が104点。英104/120+国88/120+世界史40/60+日本史35/60+数学25/80=292/440です。センターも圧縮加算されますが二次250ならまず合格圏といわれていましたので、これでめでたく合格です。よかったですね。はい。数学0点で合格するにはどうしたらいいか考えたのであります。

*

ところで再受験生氏は今日7/22は以下を覚えてください。理屈や何故はいいから覚えてください。志ん生もいってる。「きょうんとこはあたくしに任せてください。悪いようにはいたしません。いいようにしちまいます」

格助詞10個

  • が・の・を・に・へ・と・より・から・にて・して
  • 「は」は係助詞であって格助詞ではない。

道歩いてる時などに唱えてください。これが中世古文の格助詞の全体像です。この順で。だいたいのグループになっています。

係り結びの法則

  • こそ已然(いぜん)ぞ・なむ・や・か連体形。これ係り結びなりける

うまいことに57577になってます。また、「ぞ」は連体形(概ねウ音。すなわち、けり→ける)を呼ぶのもこの戯れ歌からお判りかと。

本日の百人一首5首

  • 秋の田のかりほの庵(いお)の苫(とま)をあらみわが衣手(ころもで)は露(つゆ)にぬれつつ(天智天皇
  • 春すぎて夏来にけらし白妙(しろたえ)の衣(ころも)ほすてふ天の香具山(かぐやま)(持統天皇
  • あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂
  • 田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ(山部赤人
  • 鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜(しも)の白きを見れば夜ぞふけにける(大伴中納言家持)

解釈はまだいいです。御歌を歌のまま諳んじるこれ大切ある。

むすめふさほせ

  • む・す・め・ふ・さ・ほ・せ(娘房干せ)(娘さんおっぱい日干ししませんか:575)

覚えといてください。意味と理由はいまはまだ知らなくていいです。

*

初日ですのでこれくらいで。30分ではこれでぎりぎりでしょう。自分なりに「勉強した」「仕上がった」と思ったらツイートしてください。

しかしきょうあすすぐに尋ねるなんて野暮はいたしません。

忘れたころに不意に「天智天皇」などと召喚しますのでそこで歌が詠めなければ叙々苑の前で熱くて暑いコンクリに照らされて立って焼肉が俺の腹ん中に収まるのを待つことになります。そんなときは「かささぎの渡せる橋に」を詠むと少しは肝が涼しくなるやもしれません。

*

では精進せよ。

万葉の恋

ちょっと、補遺をします。

さすがだ。村西大納言。で、すぐに触発される船橋東人(あづま-びと)の私。

少し、間違えたな。やり直します。やっぱり俺は男だから(というのか)甘さがこういうところに出る。

歌を詠む平安貴族のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

  • 独り宿て絶えにし紐をゆゆしみと/せむすべ知らにねのみしそ泣く(中臣朝臣東人)

(解釈)一人寝していると紐が解けてしまいました。(やはりそう(だったの)かと)不幸な思いに、しかし為す術なく、しくしくと泣くばかりです。

(訳注)独り宿は、「ひとりね」と訓じます。ひとりねというのは、ふたりで寝ることを自然と捉える、その欠落態。ゆゆし(み)は、現代語でもいう由々しい、あるいは忌忌しい。大変ショッキングであると。ねのみは、音のみ、です。ただひたすら声に出して。

  • これ、ツイートでは違うように(例えば、男が旅先で詠んだように)解釈しましたが、こうしてみると、明らかに、別れた後の中臣朝臣東人の未練ですね。必ずしも撚りを戻そうと思っているのではない。単に、寂しさが出ちゃうんですね。同時に、一縷の、あわよくばの気持ちもある。つくづく、馬鹿な生き物です(褒めてます)。

対して、女のほうは一歩進んで終わった恋を対象化している節があります。

歌を詠む平安貴族のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

  • わが持たる三相(みつあひ)によれる糸もちて附けてましもの今そ悔しき(阿倍女郎)

(解釈)私の手元には三本撚りの糸があります。それでしっかりと仕付けておけばよかったと、いまさらですが悔やんでいます。

(訳注)「ましもの」は、反実仮想助動詞「まし」(xxならよかったけどでも現実はyyだし)+逆説接続助詞「ものを」の古形「を」の欠落(ソウナンダケド。「仕付けておけばよかったのだけれど」)です。

「今は」に見える「は」は、別のときは違ったけれど、今なら、という含みです。つまり別れ話をしたときに「は」別れる気持ちを固めてそうしたけれど、貴方がそうおっしゃる言葉を聞いた今「は」残念に思います。(でも撚りはもう戻らない)というように、

  • 阿倍女郎(あべの-いらつめ)は(貴方がそこまでおっしゃるのでしたら)残念ですと。でも、もう遅いんですと、いっていますよね。

この、男の側からしたら半歩に見える違い、しかし現実には半歩数歩どころか数百メートル遅れをとっている、機微。1,300年も前の歌。それがしかも時を超えて、判る。かいつまんでいえば、さいとう(id:netcraft3)[サイバーメガネ]、泣けよと。しかしとはいえ泣くなよめそめそするなよと。

hatebu.me

ときにわが読者191人よ。ありがとうございます。内、読んでくださるのが1割の20人も有りや。その20人の中でおひとりでも週末に万葉のことをちらと思い出してくだされば、私の革命への願いは叶うのでございます。

本日夕刻、津田沼に登場せしと音にのみ聞く志位和夫、そろそろ帰ったころだろうか。毎度のお粗末様でございました。