illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

あるエール

すばらしい。

nanaio.hatenablog.com

フロントラインで耳目を集め、意義のある社会的活動を行うのは高野君に任せよう。俺は控えめに船橋で干ししいたけを野田琺瑯にちぎって入れるのが性に合っている。だがしかしだね、前に湯島のおっぱいパブに連れていったとき話したように、id:tonbonline は本郷には進むこと。いいね? これは脅しです。

f:id:cj3029412:20170218092732p:plain

遠隔医療のイラスト(女性医師) | かわいいフリー素材集 いらすとや

さて、本題。

もうだいぶ前に、あるはてなーと飯を食った。そのときに聞いた話は、彼のお父様が離島で開業医をなさっていること。はてなーの彼は、お医者様の息子として生まれ、医学部ではないが隣接する分野を専門に選び、いまも大学に通っている。朴訥と雄弁が入り混じって、ことばを選び選び話す、誠実なけもなーである。

取材者の癖が顔を出し、お父様のことを根掘り葉掘りうかがった。プライバシーに触れるので、これ以上のことは記さない。ただ、おっぱいのないキャバクラに連れ出して、不用意に「人生長いんだから受験勉強の頭が残っているうちにお医者様を目指すのは戦略としてわるくないとおもう」というような、いわずもがなを彼に伝えてしまったような靄に包まれた記憶がある。ない。淡い。おっぱい。すまない。

*

よよん君のことを取材していたとき、何人{か|も}の医師、研修医に話を聞いてまわった。よよん君の主治医だったX先生にも何度か取材に応じていただいた。私はその人がその人なりのプロフェッショナルとしての人生をなぜ、どのように選んだのかに、多大な関心をもつタイプだ。それは俺自身が読書人という中途半端なインテリゲンチャであることに由来する。平たくいえば俺は話をきいて記して駄洒落をいうくらいしか世の役に立たない。立っていない。腹立たしくて屁もでないたあこのことだ。

彼ら、現役のお医者様、そして研修医のみなさんが口々にいったのは、大きく次の3点だった。

  • 血液グループ先生は、ある種のセカンドオピニオンの理想を実現している。自分にはとうてい真似ができそうにない。
  • その物語の1シーンを、血液グループ先生自身が漫画やイラストで描けるというのは、それが救いになっているのかな。(わし註:血液グループ先生はいまのことばでいう腐女子である)

まあ、ここまではわかる。取材メモを見返すと(もやもやとしていたことが、輪郭を形作ったのは、つい数週間前のことである…)、彼らのほとんどが、次の点に触れている。

  • いつの日か、離島/無医村で医療に携わりたい。(または、「研修医になりたてのころは、自分もそう思っていた」(X先生))

これが、長いこと、僕自身のことばとして、うまくいえなかった。

以下は、X先生の述懐。

自分も、研修医になりたてのころは、離島や無医村、僻地で医療に携わりたいという夢をもっていました。なぜかって? いちばんいいのは―もちろん技術と経験がしっかりしていることが前提だけれど―ある患者さんの生育歴、病歴を、幼いころから、生まれたところから、ぜんぶ知っていることなんです。どこで、何をたべて、家族はだれがいて、何歳のときにどんなけがや病気をして。小さい集落なら、それができる。

 

小中学校の同級生に、ひとりふたりは、医学部に進む友だちがいるでしょう。僕もいまはこうして大学で臨床と研究を受け持っている。もしいま、どこかの病院からオファーがあれば、部長待遇ということになる。そこで、僕は思うんです。『なぜ、生まれた街に自然に戻っていけるコースが(あるようで意外と)ないのかな』って。

 

血液グループ先生が、よよん君に、2ちゃんねる以外のところで(わし註:よよん君が仲間内で開いていたサイトと掲示板があった。血液グループ先生は、そこに顔を出していろいろ書き込むので「荒らし認定」を受けてしまう)根掘り葉掘り好きな食べ物とか、家族構成とか、ペットや彼女の有無とか、それまでの暮らしのことを聞こうとする。

 

あれは、僕らの目で見ると―手段はよくなかったかもしれないけれど―きわめて王道の入り方です。僕も、よよん君には同じことを聞いて、いろいろと話し合った。

 

だからね、血液グループ先生が、僕のところに電話をかけてきて、いろいろ聞き出そうとする。もちろん、基本のところには医師としての極めて厳格な倫理とプライバシーがあるから、僕もむやみには答えることはできない。仲間内の符丁で、『そう』とも『そうでない』とも、そこはうまく。

 

それで、あるとき血液グループ先生が僕にこういった。

 

『私がよよん君と同じ街に生まれて、かかりつけの医師をしていれば、白血病の兆しを見逃すことは、決してしなかった…そうなりたかった』『どうして、だれもがそうありたいと思っていることが、できないのでしょうね』

 

これには、僕も思わず、はっとしてね。

 

彼女は―もう、よよん君のご家族にお会いになったということはご存じですね。掲示板では『わし』なんて名乗っているけれど、女性の先生です―われわれ同業者の目から見ても、すばらしい資質をお持ちの方だと思う。もちろん、主治医は僕だから、その地位を明け渡すことはするつもりもないし、しなかったけどね(笑)。

 *

ということで、これは不定期に行う週末の取材メモの開陳。

そして繰り返しになるけれど、これは冒頭に記した、あるはてなーへの、個人的なメッセージ、エール。よってからに、落ちはない。受験勉強にいそしむ彼の励みになればと思い筆を執った次第。

dk4130523.hatenablog.com

*

(2003年春のメモ)

血液グループ先生は、現在、東京の西のはずれの病院で、雇われ院長をしている。2ちゃんねるには、来ていない。

あの人どうしているかしら(小林幸子)

ご返事が、少し遅くなりました。このエントリーは、主に季雲納言さん(id:kikumonagon)に向けて書かれています。

dk4130523.hatenablog.com

ドラえもんの長編映画はかなりの数に上ります。その中で僕がいちばん好きなのは「のび太の宇宙開拓史」。

ドラえもん のび太の宇宙開拓史 - Wikipedia

リメイクじゃないほう(1981)ね。

のび太の部屋の畳の下が、異空間とつながります。例によっていろいろあるんだけど、要はあちら側の世界の諸問題を解決するお手伝い。と、片付けてしまっては申し訳ないので、よろしければみてほしい。

あちらの星の事情は、とりわけガンマンのび太の活躍によって、うまく収まっていく。のだけれど、一方で、そうこうしているうちに、異空間との結びつきが次第に弱まっていく、はじめのうちは、畳を返してそのまま飛び込めば行き来が出来たのが、やがてタケコプターを使わないと渡れないようになる。

のび太くん、お世話になったね。ありがとう。君のことは忘れないよ。さようなら」

異空間との接続がとだえる前に、ロップル君とチャミーはそう手を握って、それからのび太ドラえもんに手を振る。おれ(7)、だだ泣き。

*

当時7歳(8歳になる直前)だったおれは、家に帰って、ロップル君とチャーミーに「いま、どうしていますか。ロップルくんとチャーミーには、のび太くんとドラえもんのことを、ずっとわすれないでいてほしいです」という手紙を書いた。親が東宝に送ってくれたら、後日、ポスターと、エンディングテーマを作詞した武田鉄矢(歌は岩淵まこと)のブロマイドが入った封書が届いた。

おれは何でそんなものが届くのかわけがわからなかった。おれがほしかったのは「お手紙は、大山のぶ代さんと藤子不二雄先生が、ひみつ道具を使って、ロップル君とチャーミーにちゃんと届けてくれました」という、そのひとことだったのに。

なぜものを書くのか。だれに読んでほしいのか。書き手は何を求めるのかというテーマが頭をよぎるたびに、このトラウマがおれの心をよぎる。被弾した金八には申し訳ないのだが、おれは以来、武田鉄矢がにがてだ。

*

ロップル君のことが頭に引っかかって忘れられないおれは、後日、親にいって映画の解説ムック本(で、いいのかな)を買ってもらった。おれはなんどもなんども、のび太ドラえもんがロップル君やチャーミーたちとなかよく星で過ごしているシーンを読み返し、そこで手を止め、閉じた。おしまいのお別れのシーンはつらいのでほとんどめくらなかった。

*

時は無為のまま流れた。

しかし、おれはいまでも、大人になったロップル君とチャーミーが、遠い星のどこかでその星の平和を守り、幸せにすごし、そろそろ子や孫にめぐまれて、その執務室のデスクの上には、のび太ドラえもんの色あせた写真が飾ってあると、夢想することがある。たぶん飾ってあるだろう。

*

この話、ほんとは、近代読者の成立(前田愛)とか、いろいろ引こうと思ったんだ。書きかけた。でもそんなのつまらないからね。遅くなった理由は、それです。

あ、前田愛(女優さんと同じ名前をした国文の重鎮おっさん。師匠筋からのまた聞きだけれど、柔和な方だったそうだ)は、おもしろいよ。 

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

 

*

武田鉄矢と岩淵まことの名誉のために。

www.youtube.com

岩渕まことのホームページ

*

近年では歌のうまさ以外が話題になることの多い小林幸子のために。

www.youtube.com

*

このテーマは、またいずれ書きます。だめだなあ、おれ(笑)。

糠漬けログ day #0005.8 番外編 柚子茶の世界

柚子茶です。きょうは(ゆうべから)、糠床さんをお休みさせる日なので、漬けるのは夕方以降に。

f:id:cj3029412:20170211071138j:plain

マットは、少し前に暮らしていたモスクワで買い求めた、何のことのないタオル。柄がいかにもって感じで(そうでもない?)帰国時、何枚か自分用のお土産にしました。

柚子茶、おいしい。

ほんとうは、実は皮をむいて…ってやるんだけど、皮にはポリフェノールビタミンP)が豊富に含まれるらしく、面倒なのもあって僕はお湯を注いでからつぶして食べる派。そんな派閥は聞いたことがないけれど。

*

きのうまで漬けていたものの中では、みょうがが予想外においしかったです。手前味噌を少々乗せて、呑み助は熱燗でやるんだろうけど、僕は熱い柚子茶で。

*

季雲納言(id:kikumonagon)さんがとてもおもしろい、興味深いテーマを投げていらっしゃるので、夜、お答えしようと思います。

kikumonagon.hatenablog.com

これ、真正面から、誰か答えられる人、いる?

結局一つの物語と対峙する時、読者は何を望むのでしょうか?反対に物語や作家は読者に何をして欲しいのでしょう?

その辺の、通り一遍の、誰かから借りてきたことばじゃなくて。

(こういう問いに、大人はもっと震えあがっていいと思うよ。)

震えあがった人が、極端にいえば「読み手」「書き手」としての全人格を賭けて、もし賭けたとしたら、もそもそ、ぼそぼそとならざるを得ないと思うんだけれども、あるいはうまいフレーズで、たとえば、こちらのセンセイのように。

開高健の言葉

オリジナルはおそらく、ルター/ゲオルギウのことばなんだけれども、開高は「あなたは」って読み替え/言い換えを行うんだ。(必ずしも、季雲納言さんの好みや、答えにはなっていないかもしれないけど。)この読み替え/書き換えには、開高さんらしさが如実に現れていると、開高健記念会会員番号xxxの俺が断言して構わない。

開高健記念館

地獄って閻魔帳以外に本あるのかな…

こっちは答えられそうだ。開高さんとか、俺とかが懲りずに本を書いてるから、たぶん心配ない。そういう懲役刑があると、聞いたことがある(笑)。

*

続きは夜に。これから、ねこちゃんの譲渡会。夕方に戻ります。

糠漬けログ day #0005.5 番外編 オールスターズと手前味噌

2年前に仕込んだお味噌3樽をかきまぜました。

これまでもたまにちょいちょいやっていたんだけど、きょうは糠漬けをクローゼットの奥、味噌樽の隣に寝かせていたので、ついでだってことで、お味噌さんに空気を吸わせました。

f:id:cj3029412:20170210214514j:plain

これまでの糠漬けオールスターズと、整備前川崎球場のグラウンドを上空から見たみたいなの。

2年間、基本、放置。たまに、かきまぜる。大豆、塩、麹、水。だけ。

わが才能にほれぼれする(笑)。みんな、そんなこといってんで、だから呼び名が手前味噌。でも、そう名が付くだけあって、これは江戸っ子は自慢するさあねえ。

糠漬けログ day #0005 きゅうりとなす

うまい。

俺がうまいのではなく、やはりきゅうりとなすの糠漬けはうまいのだ。「うまくできている」「うまい具合に」「いい塩梅に」いろんな形容があるが、しかし言い尽くせぬ。ぽりぽり。

  • 手触り…いい感じでふにゃふにゃ。
  • 匂い…淡い糠の匂いがする。
  • 味…やや塩が強いか。まる1日漬けてるからね。
  • 色合い…ご覧の通り。それから、今回写さなかったけど、きゅうりの断面に「よく漬かってる」感じが表れている。

f:id:cj3029412:20170209194005j:plain

*

話かわるんだけど、「坊ちゃん」が、赤シャツをやっつけて東京に帰ってくるわね。そのあとで街鉄の技手になる。

その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日まで逢う機会がない。

 

清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。

 

その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹かって死んでしまった。死ぬ前日を呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

夏目漱石 坊っちゃん

明治39年4月の発表だから、清が亡くなったのはその年の2月とみて、1906年。生年は作中に書かれていないけれど、仮に1835年としたら岩崎弥太郎福沢諭吉土方歳三前島密三島通庸松方正義小松帯刀、そしてめりけんではマーク・トウェイン…と同年代。(いま書いて気づいたんだけど、岩崎、福沢、土方、前島、三島、小松、松方、これみんな-功罪あるにせよ-「明治の精神」を準備した人たちだよね。)

漱石はインテリの極北をいって、でもいやんなっちゃってやっぱり手に職がいいやってんで、でもちょいと1906年当時の刻印ぽい職業、みたいなのをぽんと入れる。うまいなあ。月給30万の家賃7万の谷中あたりの家か。漱石は、生涯、借家だった。

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

 

*

俺だって、ほんとはばあさんの跡をついで、果樹園を、庭師をやりたかったんだ。(それでいずれ同じ墓に入る。)

墓はともかく、時代相ってやつに煽られて、しょうがなくて勉強したんだけどね。「ばちがあたる」なんて親類には散々いわれるんだが、漬物職人になってみたかった。だって何すればいいか身体でわかるんだもん。漬物樽の色、莚(むしろ)で天日に干していた梅干し、紫蘇、柑橘、唐辛子、大根の葉、皮、柿、漬けあがりのにおい、かき混ぜる手つき、記憶が次々によみがえってくる。 

*

そんなわけで、味わいを深くするために、干ししいたけ、煮干し、昆布、鰹節、鷹の爪を補ってみました。みょうがも投入。「ばちあたり漬け」引き続き、請うご期待。

*

(引き続き、まだ捨て漬けです。ちなみに今日は、5日にいちどの常温発酵の日。冷蔵庫から取り出して、18度くらいの暗所(クローゼットの中)に置いてあげます。)

糠漬けログ day #0004 小松菜とはなちゃん

引き続き、まだ捨て漬けです。

緑を増やそうと思って、小松菜を漬けました。漬け時間24時間。

  • 色は、鮮やかによく出ています。
  • 手触りは、小さいころに食べた白菜に似ている。
  • 匂いは、ほとんど糠のにおいがしない。
  • 歯ごたえは、適度にしゃきしゃき。
  • しかし、肝心の味がピンぼけしている感じ。糠の風味も、塩も、いまいち効いていない。この辺が、奥の深いところかもしれないですね。

f:id:cj3029412:20170208211704j:plain

まあもう少し、気長に熟成を待ってみます。

別段の味対策というわけでなく、損にはならないだろうということで、干ししいたけを追加混ぜ込みしました。それから、糠と塩を9:1の割合で少々。

さらに、機は熟しつつある。きゅうりと、なすを投入。大本命の白菜がその先に控えております。

f:id:cj3029412:20170208220504j:plain

川崎貴子さんが、おふたりの娘さんを眺めながら酒を飲む「娘酒」が至福と記していらっしゃいましたが、僕には「猫漬物」が夜の最高のひとときです。特に、これまでの中では大根がよくマイルドに漬かったかな。

はなちゃんと大根。

なんだか、とてもすばらしい気がする。